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名古屋地方裁判所 昭和60年(ワ)4087号 判決 1994年7月29日

原告 山口玲子

被告 日本放送協会 外二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告日本放送協会及び被告中島丈博は、原告に対し、各自金八〇〇万円及びこれに対する被告日本放送協会については昭和六〇年一二月二九日から、被告中島丈博については昭和六一年一月一日から、それぞれ支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  被告らは、原告に対し、各自金二〇〇万円並びにこれに対する被告日本放送協会及び被告株式会社日本放送出版協会については昭和六〇年一二月二九日から、被告中島丈博については昭和六一年一月一日から、それぞれ支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

3  被告らは、株式会社朝日新聞社、株式会社毎日新聞社、株式会社読売新聞社及び株式会社中日新聞社各発行の新聞のテレビ・ラジオ欄の紙面に、別紙目録記載の謝罪広告を、同目録記載の要領により各一回掲載せよ。

4  訴訟費用は、被告らの負担とする。

5  第1、2項につき、仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和三二年名古屋大学文学部を卒業後、名古屋市にある東海テレビ放送株式会社に入社したが、昭和三九年退職し、それ以降、著述業にある者で、主な作品として、「泣いて愛する姉妹に告ぐ-古在紫琴の生涯」(草土文化刊)、「とくと我を見たまえ-若松践子の生涯」(新潮社刊)、「厳本真理 生きる意味」等の女性史における未発掘の側面に光を当てた、女性の生涯と社会の関わりに関する著作がある。

(二) 被告日本放送協会(以下「被告協会」という。)は、放送法の規定に基づいて設立された法人であり、被告株式会社日本放送出版協会(以下「被告会社」という。)は、被告協会の放送に関する出版物の発行、頒布等を目的とする株式会社であり、被告中島丈博(以下「被告中島」という。)は、昭和三六年ころから映画、テレビドラマの脚本等の作成に従事している者である。

2  原告の著作物

原告は、昭和五七年八月一五日、株式会社新潮社から「女優貞奴」(以下「原告作品」という。)を上梓した。

原告作品は、原告の著作物である。

3  被告らの行為

(一) 被告協会は、毎年、年初から年末までの一年を通じて、毎日曜日の午後八時から四五分間の放送枠を用い、「大河ドラマ」と称するテレビ放映用作品(以下「大河ドラマ」という。)を制作して放送してきたが、昭和五九年二月二九日、昭和六〇年度の大河ドラマとして、「春の波涛」なる題名で女優川上貞奴(以下「貞」又は「貞奴」という。)の生涯を中心とするドラマを制作する旨発表した。そして、被告協会は、被告中島の執筆による脚本をもとにテレビドラマ「春の波涛」(以下「本件ドラマ」という。)を制作し、これを、昭和六〇年一月六日から同年一二月一五日までの毎日曜日午後八時から四五分間(第一回の同年一月六日の放送は、午後七時二〇分から午後八時四五分までの八五分間)、全五〇回にわたって放送した。

(二) 被告会社は、本件ドラマの梗概の記載を中心とする「NHK大河ドラマ・ストーリー春の波涛」なる書籍(以下「本件書籍」という。)を制作し、昭和六〇年一月一〇日付けで出版したが、その五二頁から一一二頁までには被告中島の構成による「NHK大河ドラマ・ストーリー春の波涛」(以下「ドラマ・ストーリー」という。)が、二〇八頁から二一四頁までには「エピソード人物事典」がそれぞれ掲載され、右エピソード人物事典中の二一〇頁には「川上貞奴」なる項目があり、貞奴に関する記述がなされている(以下、右エピソード人物辞典中の貞奴に関する記述部分を「人物事典」といい、これと本件ドラマ及びドラマ・ストーリーとを合わせて「本件ドラマ等」という。)。

4  原告作品の特徴

従来公刊されていた著作物においては、貞奴をその夫川上音二郎(以下「音二郎」という。)の蔭にある女性として描いており、貞奴自身の社会的活動及び生涯をまともに評価したものはなかった。演劇史上及び女性史上の貞奴の位置付けもなおざりにしたものがほとんどであった。

しかるに、原告作品は、貞奴の自我と主体性を問うという新しい視点から、資料を掘り起こし、原資料及び参考文献を洗い直し、関係者より聴き取りをし、選び出した素材に新たな光を当て、構成をし、創作的表現によって貞奴七五年の生涯を詳細に再生し、貞奴の内面からその実像を求めたものであって、女優を職業として確立するに至った道程を検証し、これを主題として演劇史上及び女性史上の新たな位置付けを試みた文芸作品である。そして、原告作品には、右主題による貞奴の生涯の再生と史的位置付けに、従来の著作物に見られない独自性、創作性がある。

5  本件ドラマの原告作品との類似性

(一) 本件ドラマには、別紙一「「女優貞奴」・「春の波涛」類似箇所対比表」記載のとおり、原告作品の表現と類似する箇所が多数存在する上、貞奴が「女性として主体的に生きて女優業を切り開いた」という内容の主題、別紙二「女優貞奴の構図」に記載されたような人物の関係、貞奴を主人公とする物語全体の筋とその展開、貞と桃介の相互関係の設定と展開、桃介周辺の登場人物(福沢諭吉、その次女・房)の相互関係と展開、貞と音二郎の相互関係の設定と展開、貞を伴侶とするまでの音二郎及びその周辺の登場人物の相互関係の設定と展開が類似している。

(二) 別紙一の類似箇所について説明を加えると、次のとおりである。

(1)  主題とその展開の類似性(別紙一の一ないし八)

<1> 原告作品の主題を表わした部分は、別紙一の一ないし八の上段に示したとおりであり、その展開に従って要約すると、次のとおりである。

イ 女優の資質と素養(別紙一の一)

貞は、芸者時代にいずれも男役つまり立役ばかりを演じて、芸者芝居に熱中し、その資質と素養を育み、音二郎と結婚し、演劇との関わりを持つことになった。女優の資質と素養に関して、「芸者時代の修業が役立った」として、芸者芝居への熱中を織り込んで筋立てているが、このように明言した作品は、これまでなかった。

ロ 女優になるきっかけ(別紙一の二)

貞が自ら女優の道を歩むことになった具体的契機は、サンフランシスコの興行先で、貞のポスターが街角にはりめぐらされているという周囲の状況から一座を救うため舞台に立ったことである。

ハ 欧米で舞台に取り組む姿勢(別紙一の三)

道成寺など「極限に追いこまれて必死につとめた舞台」が、「迫力のある舞台」となり、「群衆を魅了し……一夜明けると貞奴はスター」になっていた。以後、貞奴は、欧米巡業で世界屈指の女優としての名声を博した(先行資料の「川上音二郎貞奴漫遊記」(乙四五)にあっては、舞台の姿勢が称賛されたのは、「思も寄らぬ怪我の功名」であったとしているのに、原告作品にあっては「極限に追いこまれて必死につとめた舞台」だったので「そこに感動が生まれ、迫力のある舞台となったのだろう」と筋立てているのであって、この両者は決定的に異なっている。)。

ニ 女優として立つ決意(別紙一の四)

貞は、帰国して日本で舞台に立つことになるが、女優として立つことに逡巡する。音二郎の妻として、夫の影になって生きるべきだという「妻の枷」をはめる世間への慮りもあったろうが、むしろ、貞自身は、「女優の演技の基礎といえば何一つしていないも同然」の我が身を、演劇修業の厳しさと対置させて、「出る以上は、基本から身につけなければならない。一度失敗すれば、どういうことになるか、無残に否定され、女優の未来はそれだけ遠ざかり、更に困難になるのだ。……貞が失敗すれば、ただでさえ困難な女優の道がいっそう険しくなる。不用意には応じられない。……世界女優の折り紙をつけられた貞に、失敗は許されない。」と考え悩んだ末に決意し、自らを鍛え直した上、女優として自覚的に舞台に立つことになる。原告作品は、様々の資料の重なりの中から、貞の心の深みにまで光を当てている(先行資料である明石鐡也著「川上音二郎」(乙一八)によると、貞奴が日本へ帰ったら絶対に舞台へは立たないと言った最大の理由は、「川上の心に、鞭を打つつもりから」であったというのものである。)。

ホ 女優としての評価(別紙一の五)

「オセロ」、「ハムレット」等を公演し、「貞奴は、満都の人気を一身に集めた。現象的には西洋での場合と同様、たった一年で、一際抜きんでて輝く別格の俳優となったのである。」

これまで、「女役者のみの『女芝居』の延長のような『女優劇』」はあったけれども、貞奴の場合は、「劇界の片隅を占めるのではなく、男優をしのいでその頂点に立った。女役者の殻を脱いで、女優への転身をなしとげたのは、貞奴自身の資質と努力のたまものだった」のである。また、貞奴は、「お伽芝居、就中『浮かれ胡弓』によって、演技の醍醐味を味わ」い、「さしも川上嫌いの面々も、こぞって支持を表明した。」「子供たちを喜ばせ、貞奴自身も心を洗われた。」

この部分は、「オセロに苦しんだ貞奴がお伽芝居によって演技の醍醐味を味わって女優開眼に至り、ハムレットに及んで女役者から近代女優への転身をなしとげた」という物語であり、他に類のない原告作品独自の創作的表現である。また、貞奴を女優として高く評価し、それを原告作品のように表現した作品は、他にない。

ヘ 女優養成所(別紙一の六)

さらに、貞奴は、女優養成の必要性を痛感し、女優に対する攻撃に敢然と立ち向かうことになる。「明治の女優排斥のすさまじさは、想像を絶するものがあった。男尊女卑の毒素が地底から噴きあげ、火山灰になって襲いかかった。」「貞奴は猛威をふるった女優攻撃の矢面に立って、この養成所を設立した。」

女優といえば、品行が真先に問題とされ、堅気の娘は女優になるまじきものと考えられていた時代に、「過剰なまでに、生徒の品行と男女交際を厳しくとりしま」りながら、音二郎の単なる協力者としてではなく、女優の志願者に道を開いたのである。これは、貞奴に真に女優としての自覚がなければ到底果たしえない事業であった。

原告作品には、貞奴が単に女優養成所を開設したというのではなく、「貞奴が、猛威をふるった女優攻撃の矢面に立ち、世間の偏見に対抗して、女優への道を開いた」という独自の物語性がある。

ト 音二郎没後の活躍(別紙一の七)

さらに、貞奴は、新派の退潮期に女優を続け、音二郎亡き後もその遺志を継いで、「トスカ」で好演し、敢えて「サロメ」に挑戦した。女優として高い評価を受け、世間の「引退せよ」の声に抗して苦闘した。「貞奴は辛く苦しくはあってもこの時まで一度も、引退すると言ったことはなかった。それどころか折にふれて、西洋の女優の例を話して、引退説を否定し、抗弁していた。ヨーロッパでは七十二歳になるサラ・ベルナールをはじめ、高齢の女優が活躍しており、貞奴もまだ引退を考えてはいなかった」からである。

また、河原乞食に対する社会の排斥に立ち向かい、貞奴は、音二郎の銅像を建てた。「音二郎が劇界につくした功績は大きくても、所詮は河原者と見下げられるのだった。貞奴はせめて自分が銅像を建てなくて誰が建ててくれようと思った。貞奴が銅像建立の希望を捨て、普通の石碑にしておけばこんなに苦労しなくてもすんだ……だが、河原者の悲哀を思い知って、貞奴は逆に強くなった。」

このように、「音二郎亡き後、女優を続け帝国座も引き継ごうとして苦しむ貞奴が『トスカ』で芸の力を見せ、『サロメ』競演で気品と風格を示し、音二郎の銅像建立の場面で役者蔑視の風潮と戦いながら、女優の生き辛い時代を生きぬく」という筋立ては、原告作品独自の物語であり、創作的表現である。

チ 女優引退(別紙一の八)

しかし、貞奴の引退の決断は、桃介が賭に出て打った桃介危篤の電報が地方巡業中に届き、そのため貞奴が桃介のもとに帰ったことが引き金になった。「貞奴が桃介の術策にかかったのだとしても、貞奴も自分の本心の見極めがついて、観念した。だが貞奴には、自ら芝居を捨ててしまった敗北感が残った。その敗北感を押しやるためにも」引退興行は華やかで盛大であった。

貞奴の「女優引退」に関して、「桃介の危篤電報を引き金として、貞奴は引退に追い込まれる」という筋立てにしたのは、桃介が貞奴に電報を打ったとの新聞記事をヒントにして、原告が創作したフィクションである。

リ 主題の要約

原告作品は「あとがき」において、「貞奴は、……生まれながらにして、明眸皓歯に恵まれていたが、何よりも精神力において、たちまさっていた。この精神の勁さばかりは、貞奴が自ら培ったものであり、それゆえに女優の先駆たり得た。女優が世に容れられるまでには、長い道のりがあった。当然女のすべき、というよりも女にしか出来ない職種でさえ、それが普通の状態になるまでには、すさまじい抵抗を受けねばならなかった。かつては役者もまた、他の職業と同じく、男の仕事であり、役者のみならず、芝居の構成メンバーは、表も裏も隅々まで、観客を除く悉くが男であった。……我が国において貞奴が登場するまでの二百年余、表現者はすべて男だった。女はその対象であり、客体でしかなかった。」と記している。原告は、資料を通底する女優としての自我と主体性を読み取ることによって、「内なる炎をもたない」夫の脇役という、伝統的女性観から貞奴を解き放ち、現代に受け継がれている女優の道の開拓者としての、貞奴の実像に迫りえたのである。

<2> 本件ドラマは、原告作品の主題とその展開に表われたオリジナリティー及び主題を具象するエピソードに依拠して、貞奴の自我と主体性を全面に押し出して制作されており、とりわけ主題の表わし方と展開は、別紙一の下段の一ないし八のとおり、原告作品と同一又は著しく類似している。

イ 女優の資質と素養(別紙一の一)

芸者芝居に凝っている貞に、「男役ばかりやっているんですよ。」と言わせ、また、貞自ら一〇〇〇円の切符を引き受け、いわば自腹を切って熱中していた有様を映像化している。

ロ 女優になるきっかけ(別紙一の二)

先行資料とは表現が異なり、原告作品を脚色したものであることが明らかである。

ハ 欧米で舞台に取り組む姿勢(別紙一の三)

先行資料にはなく、原告作品と同様の立場から「欧米で舞台に取り組む姿勢」を表現しているものであり、原告作品をもとにして作成されている。

ニ 女優として立つ決意(別紙一の四)

本件ドラマは、何年もの修業を積んで舞台に立つ男性のみの歌舞伎を中心にした当時の演劇の状況のもとで、貞が、女優として舞台に立つことに厳しく内省した心のありさまをドラマ化しているもので、「女優の道」=「女優の発展」という主題と関連づけた表現が類似し、文意が同じである。

ホ 女優としての評価(別紙一の五)

個々の題材が類似すると共に、題材と題材とを結んで女優の道を開くという主題に関連づけ、体系づけた物語が一致している。

ヘ 女優養成所(別紙一の六)

「貞奴が、猛威をふるった女優攻撃の矢面に立ち、世間の偏見に対抗して、女優への道を開いた」という独自の物語性が、そっくり再現されている。

なお、杉木苑子「マダム貞奴」には、女優養成所に関する言及は、全くない。

ト 音二郎没後の活躍(別紙一の七)

選び出された題材・素材が一致し、その筋立ても同じであるものは先行資料にはない。

原告作品の「女優の生き辛い時代であった」という表現が、「…本当にひとりで女優をやって行くって大変なことですものね…」(本件ドラマ第四九回・シナリオV(甲三の五)の二三五頁)という貞のセリフに置きかえられて、同じことを言っている。

チ 女優引退(別紙一の八)

本件ドラマは、原告作品のフィクションの部分を脚色したものである。

リ 主題の要約

最終回「波路も遠く」のラストは、フラッシュ・バックで、貞の女優生活の重要な節々をとらえた上で、ロール・スーパーでもって、「貞奴が開いた女優の道は、近代日本の文化の発展と共に、現代に脈々と受け継がれている」と主題を要約している。これは、原告作品の主題と同一であり、全編にわたって主題の展開が類似している。

<3> これに対し、被告らが本件ドラマの原作とする杉本苑子の「マダム貞奴」及び「冥府回廊」における貞奴像は、原告作品及び本件ドラマのそれと正反対であり、心の内に燃え上がる炎を持たない、消極的な受身の女性としてしか描かれていない。

(2)  貞奴をめぐる主要な人間関係の類似性(別紙一の九ないし一一)

原告作品の創作性は、貞の生涯に欠かせない重要な人物と貞との出会い、結びつき、あるいは別れの描写に如実に現われている。

<1> 貞が自分から浜田家へ来た挿話(別紙一の九)

貞が養母浜田可免を慕って自分から葭町の芸者置屋浜田家へ行ったという部分は、貞の人生の最初の大きな節目であり、貞を描く上で極めて重要な位置を占めるが、貞が自分から浜田家へ行ったという話は、過去の文献にはない。原告は、貞の養女川上富司と面談を重ねて聞き出した話を母体に、あたかも浜田家を駆込寺のように意味付けて描いたものであり、貞が子供なりに主体性と強い自我の芽を発揮したエピソードに創り上げたものである。

本件ドラマは、貞の雛妓以前の子供時代を登場させず、代わりに架空の人物イトを設定して貞の妹芸者とし、貞奴の分身に当たる位置を与えている。別紙一の九の下段の記述は、原告作品の記述をイトに転用したもので、イトがドラマの上で果たす役割は、貞の過去を暗示し、貞という人物の一面を映し出すまさに貞の分身であり、原告の創作的エピソードを剽窃し、脚色したものである。

<2> 貞が音二郎に引幕を贈った話と、貞の音二郎観・結婚観(別紙一の一〇)

イ 引幕

貞が音二郎に引幕を贈った話は、どの文献にもない原告の独創的な記述である。また、本件ドラマの台詞のやりとりをみると、原告作品の表現と内容が同一である。

ロ 日蔭者

原告作品は、貞と音二郎との結びつきが、受け身であったり、世の常識に順応したりしたのではなく、さりとて桃介への対抗意識からでもなく、音二郎の人間性に魅せられた貞自身の選択であったことを強調している。さらに、原告作品は、名士を排斥する貞の結婚観の背後に、薄幸の実姉花子の影を見出したものであるが、花子については直接資料となるものはなく、まして、花子という身内の悲哀を、貞のものの考え方に組み込んで描いた文献は、過去において存在しなかった。

本件ドラマは、第一一回放送において、貞の実姉の名を花子から松子に変えただけで、原告作品の記述をそっくり写し取り、脚色したものである。

ハ 書生が好き

原告作品と本件ドラマの表現は、極めて類似している。「名家真相録」には「書生肌が好き」という部分があるけれども、同一の資料をもとにしてもその読み取り方は必ずしも一致するものではなく、原告作品の模倣なくしては、原告作品の創作的表現と酷似することはあり得ない。

<3> 桃介との遭遇、親交そして破恋(別紙一の一一)

イ 邂逅

原告作品と本件ドラマの表現は、貞の服装が和服で馬乗袴のいでたちであること、貞の乗っている馬が暴れ馬であること、貞が暴れ馬から振り落されまいと必死でしがみついている(落馬はしていない)状態で桃介に助けられること、原告作品では桃介は「不動明王さながらに立っていた」のに対し、本件ドラマにおいては桃介は暴れ馬の前に仁王立ちをしており、不動明王を連想させること、貞奴は桃介を見て強い衝撃を覚えていること、桃介が貞にかける言葉がいずれも怪我がないかというものであること、桃介の身分について慶応義塾の書生という表現を用いていること、貞が満足に礼の言葉を言えなかったこと、以上のように多くの類似点が認められる。これらの類似点は、同じように馬を仲立ちにして貞と桃介の出会いを描いた他の作品とはまったく異なるものであり、本件ドラマは、原告作品の記述を剽窃しながら、一部を削除することによって剽窃の事実を糊塗しようとしたものである。

ロ ほのかな初恋

貞が菓子折りを持って慶応義塾へお礼に行った後の運びは、直接の資料といえるものがない。そこで、原告は、貞はまだ雛妓の小奴時代であり、桃介も書生であることを考えて、お座敷ではなく、二人に戸外を散歩させることにし、芸者と馴染み客のごとく描かれた先入観の払拭を意図したものである。そして、両者の年齢も考慮して、ほのかな初恋として描くために、慶応近辺の三田台を散歩しながら、本名が母と同じだとか、生家の没落だとか、二人に共通の話題によって親近感が生まれる場面を作ったもので、いずれも直接の資料に基づかない創作的表現である。本件ドラマは、この狙いと表現をそのまま借用している。

ハ 別離

原告作品は、貞と桃介の破恋を明治一九年、貞一五歳、桃介一八歳と特定し、貞の性格の強さと内心の口惜しさを「またお目にかかりましょう」と涙も見せずに再会を約す言葉を告げながらも、何が「天は人の上に人を造らず」かと小石を蹴っとばす行為で表現した。これは、まったくの創作的表現である。本件ドラマは、二人の年齢、別れの言葉が再会を約するものであること、口惜しさの表わし方において類似している。

(3)  個別的な剽窃の類型

本件ドラマには、そのストーリーの根幹部分とは言えないものの、個別的な箇所においても、原告作品からの顕著な剽窃が見られる。

<1> 引き写しの方法による剽窃(別紙一の一二ないし一九)

イ 音二郎の出自の述べ方(別紙一の一二)

ロ 貞の芸者芝居の経験を語る表現(同一三)

本件ドラマの出版されたシナリオでは、「浜町」「有楽館」「鬼一法眼」「八幡太郎義家」なる語を用いている(別紙一の一三の下段の2)が、原告が本訴提起前に被告協会から提示された放送台本によれば、それらは、「蛎殻町」「友楽館」「『菊畑』の鬼一法眼」「『八幡太郎伝授の鼓』の八幡太郎義家」となっており(同下段の1)、これらは、原告作品で用いられている語とほとんど同一であった。被告協会は、原告から原告作品との類似を指摘されたことから、本件ドラマのシナリオを出版するに当たり、先行資料である「女優歴訪録」の記載に沿うように改めたものであって、原告作品に依拠した事実を隠ぺいしようとしている。

ハ 貞のポスターに関する表現(同一四)

ニ 鳥森芸者一行の演目(同一五)

ホ 帝国座の作りとその客足の記述(同一七)

へ ゴロ合わせによる引き写し(同一八)

ト 経文のカナ表記の引き写し(同一九)

<2> オリジナリティーの盗用例(別紙一の二一ないし二六)

イ 一ツトセ節から官ちゃんと官吏侮辱罪、逮捕のエピソード(別紙一の二一)

原告作品は、広く流布した民権数え唄と音二郎作の替え唄とを比較して音二郎の特色を示した上で、「官ちゃん」を理由に、音二郎が官吏侮辱罪の現行犯として逮捕される場面に作り替えたものであり、創作的表現である。本件ドラマは、一ツトセ節を選び出したところから逮捕に至るまで、エピソード全体が原告作品に依拠して制作されている。

ロ 憲法草案作成の夏、貞が水泳を習うエピソード(別紙一の二二)

貞の記憶する一夏が明治何年のことか検証した上で、夏島草案作成の明治二〇年に当てはめて再生し、さらに時流との対比から、貞のものおじしない進取の気性を語らしめた創作的表現である。

ハ 音二郎の落選に関する創作的表現(別紙一の二三)

原告作品は、原告が、音二郎の談話に基づく「名家真相録」の記載を当時の新聞や通史、政治史等と照合し、音二郎落選の原因が通説にいうところの強い対抗馬とか新聞に叩かれたせいばかりではなく、選挙権のない人々に政見演説をしたところに根本原因があったと理解して記述した創作的表現である。ドラマ・ストーリーの当該部分(別紙三の23c)は、これを引き写したものであり、本件ドラマは、これに小手先による変容を加えたに過ぎない。

ニ 川上座を手放す音二郎の心境を推測する創作的表現(別紙一の二四)

原告作品は、出典には述べられていない川上座の転売後の使用状況につき、あたかも自分の子供と別れるかのように思いを馳せる音二郎の心情を慮って書き加えた創作的表現である。本件ドラマは、「氷庫」を「物置き倉庫」に置き換えたに過ぎない。

ホ 貞奴の「道成寺」好評に関する表現(別紙一の二五)

原告作品で、極限状況で必死につとめた舞台が成功の原因となったとする書き方、「振り出し笠」の場面で貞が倒れてしまうとする点は、いずれも独自の解釈による創作的表現であり、本件ドラマはこれをそのまま脚色している。

ヘ 「人肉質入裁判」の貞奴の台詞(別紙一の二六)

貞奴がこの場面で台詞の代わりに不動明王の経文を唱えたとする記述は、原告作品以外にはない。これは、原告が、養母可免が熱心な不動明王の信者であったこと、貞が可免のもとに養女にいったのが四歳のときであったこと、独自の調査から貞が右の経文をそらんじて唱えることは当然できたという視点から、咄嗟の場合にも自然に口についで出てきたであろうと想定して描写した創作的表現である。本件ドラマは、「スチャラカポコポコ」等に引き続いて何の脈絡もなく経文の一部を取り入れて「ウンタラタ」「ウム、タラタ」というものであり、原告作品の創作的表現の剽窃である。

<3> 転用の方法による剽窃例(剽窃隠ぺいの塗り残し)(別紙一の九、二二、二七)

著作物の基本要素を適宜に取り替え、事実そのとおりに表現しないことは昔からよく利用されており、原著作物から別のジャンルの作品を形成する翻案の場合にもしばしば用いられる。本件ドラマも、原告作品の著作部分をもとに種々の転用を行っており、本件ドラマが原告作品からの剽窃を行っていることの証左である。

イ 貞が養女になる経緯(イトへの転用)(別紙一の九)

原告作品において表現されている貞に関する著作箇所を、そのまま架空の人物であるイトに転じて用いている。

ロ 憲法草案と華族令草案(別紙一の二二)

本件ドラマは、原告作品において「憲法草案」「夏島」となっている箇所を「華族令草案」「熱海」と転用し、全体の場面描写は原告作品に全面的に依拠している。この転用は、作品の資質を高めようとの意図からではなく、もっぱら剽窃であることに隠ぺいするためのものである。

ハ 七二歳のサラ・ベルナール(別紙一の二七)

明治大正の雑誌等に、貞の談話の形で、貞がしばしばフランスの女優サラ・ベルナールを引合いに出して女優業について語っている記載があるが、原告は、これを参考にして、貞の引退が問題とされた大正五年の時点では、一八四四年生まれのサラ・ベルナールは七二歳であるとして、創作的要素を加えて描写したものである。ところが、女優養成所開設の明治四一年にはサラ・ベルナールは六四歳であるのに、本件ドラマはその時点で七二歳としたものであり、稚拙な転用である。

ニ 誓紙と誓詞(別紙一の二八)

貞奴に関する著作で、この色紙に言及したものは原告作品以外にはない。原告作品は、誓いを記載してある色紙の面に主眼をおいているので、「誓紙」と表現しているが、本件ドラマでは、「みんなで誓紙を書くのだ」「亀吉が誓紙を書いた色紙を手にして」と表現しており、極めて奇妙な表記になっている。その場面では、「誓紙」ではなく「誓詞」でなければならない。これは、原告作品の「誓紙」を前後の関係を考えることなく引き写したためである。

6  ドラマ・ストーリーの原告作品との類似性

(一) ドラマ・ストーリーは、後記(二)のとおりその内容が原告作品に類似する上、別紙三「「女優貞奴」・「ドラマ・ストーリー春の波涛」類似箇所対比表」記載のとおり、その表現か原告作品の表現と類似する箇所が多数存在し、右5において本件ドラマについて述べたのと同様、主題、人物関係を始めとして、序章から結末に至るまでの筋の展開、構成においても、多数の類似箇所が存在する。

なお、ドラマ・ストーリーを含む本件書籍は「NHK大河ドラマ『春の波涛』の番組鑑賞の手引きとして」編集発売された旨、巻末に明記されている。主題、骨子、全体の流れが本件ドラマの内容と掛け離れたものであれば、手引と称して発売したことが偽りとなってしまうから、被告らが本件ドラマとドラマ・ストーリーの内容が本質的に相違すると主張することは許されない。ドラマ・ストーリーは、ドラマ鑑賞の手引として、本質的に本件ドラマと同一の趣旨のものである。

(二) ドラマ・ストーリーと原告作品の筋の展開、構成の類似は、次のとおりである。

(1)  まず、プロローグにおいて、主人公の貞が「板垣君遭難実記」を養母浜田亀吉と見に来て、新演劇の旗頭川上音二郎に熱中し、引幕を贈ったと告げ、「あの人と一緒にいると、何かおもしろいことが起こりそうな気がするの。考えもつかないようなおもしろいことがね。」と胸中を吐露する。

これは、本件ドラマ第一回放送の冒頭と同じである。「考えもつかないようなおもしろいこと」として、貞が音二郎と一緒になって日本で女優の道を開くという主題の方向が示されている。原作作品と同じ主題であり、第二章に類似している。

(2)  第一章「馬上の女」は、貞の小奴時代にさかのぼって、後に女優となる契機がいかにして訪れたかを、直接間接に関わった主要人物の紹介と共に示して、岩崎桃介との衝撃的な出会いから、音二郎が弁士になる直前までがまとめられており、貞の相談役としての音二郎、桃介の境遇、人となりが説明されている。

これは、第一回及び第二回放送分の手引であり、原告作品の第一章及び第二章に類似している。

(3)  第二章「自由童子誕生」は、貞が小奴から奴となるまでの間の、貞、音二郎、桃介の青春時代の描写により、後に貞の女優人生に大きな影響を及ぼす二人の男性との関わりが示される。

これは、第一回ないし第八回放送分の手引であり、原告作品の第一章及び第二章に類似している。

(4)  第三章「オッペケペ」は、貞が女優として文字どおり苦楽を共にすることとなる音二郎と結ばれてプロローグの時点に戻り、その後、二人の結婚を中心として、オッペケペの流布から、音二郎が新演劇の旗頭となり、貞の支援で渡仏し、帰国後照明などに工夫を凝らした芝居で成功するまでがまとめられ、桃介と房子との夫婦仲が冷たいことも組み込まれている。

これは、第九回ないし第二一回放送分の手引であり、原告作品の第一章及び第二章に類似している。

(5)  第四章「日本脱出」は、自前の劇場川上座建設を中心に、貞と音二郎の新婚時代から、失意の冒険渡航がアメリカ巡業につながるまでがまとめられている。

これは、第二二回ないし第二七回放送分の手引であり、原告作品第二章及び第三章に類似している。

(6)  第五章「海外巡業」は、サンフランシスコに着くと貞が主演女優であるかのように宣伝されていたため、貞がやむなく舞台に立つという経緯から、極限に追い込まれ死力を振り絞って舞台をつとめた結果、一夜明けるとスターだったというシカゴを経て、ロイ・フラー劇場に出演して絶賛を浴び、音二郎と共にオフィシェ・ド・アカデミーを受け、世界的女優となるまでがまとめられ、脇筋に「かっぽれ」「ヘラヘラ」などを見せる鳥森芸者一行に随行する奥平剛史との邂逅が組み込まれている。

これは、第二七回ないし第三二回放送分の手引であり、原告作品第三章及び第四章に類似している。

(7)  第六章「女優第一号」は、帰朝公演では音二郎否定論の大合唱が起きたが、二度目のヨーロッパ巡業から帰って目指す方向がはっきりするという音二郎の動向から、日本で女優の道を開くべく『オセロ』出演を決意するまでの貞の心情、葛藤を中心に、苦痛を伴いながらも女優として自信と意欲を持つに至るところまでがまとめられ、プロローグに提示された主題が明確にされる。脇筋に、福沢家との養子の縁を切ってしまいたいと思う桃介と房子との仲が破綻したことが組み込まれている。

これは、第三二回ないし第三五回放送分の手引であり、原告作品第四章及び第五章に類似している。

(8)  第七章「劇界の改造」は、川上嫌いの面々もこぞって支持を表明し、貞自身も心を洗われ、女優になってよかったと思うお伽芝居から、音二郎の提唱する正劇への賛辞、「ハムレット」での改革成功を中心に、三度目のパリへ向かうまでがまとめられて、主題が展開される。その間に、日露戦争を背景に株で巨利を得た桃介と、帝国劇場設立発起人会での音二郎・貞夫妻との顔合わせが組み込まれている。

これは、第三五回ないし第三六回放送分の手引であり、原告作品第五章及び第六章に類似している。

(9)  第八章「新時代の足音」は、女優養成所開設の状況を中心に、貞が、世のごうごうたる非難に悲憤慷慨しつつ女優を育て、かつ、音二郎の率いる革新興行の舞台をつとめ、伊藤博文に立派な女優になったと言われるようになったこと、莫大な借金を抱えて大阪帝国座を建てた音二郎が業半ばにして逝ったこと、音二郎の没後、演劇の潮流が変わりつつある中で、引退説がかしましくなり、また、桃介とのスキャンダルで騒がれるが、貞は女優をやめなかったこと、しかし遂に帝国座を手放すに至ることなど、世の偏見と戦い、女優の道を切り開き、女優を続ける貞奴が紹介されて、主題がさらに深められる。脇筋に、松井須磨子の抬頭が組み込まれている。

これは、第三七回ないし第四六回放送分の手引であり、原告作品の第六章及び第七章に類似している。

(10) エピローグは、約四メートルの銅像になつた音二郎に貞が微笑む場面で締めくくり、「つらいこともあったけど、あんたと一緒になってよかった」という貞の独白と共に、「これからの貞の道は平坦ではないし、世間の冷たい目やつらいことはいくらでもあるが、貞は身内に力がみなぎってくる」とこれからも世の偏見と戦い、女優の道の開拓者としての自覚と自負をもって生きていく貞である旨、主題を取りまとめて終わっている。

これは、第四五回ないし第五〇回放送分の手引であり、原告作品第七章、第八章及び終章に類似している。

(11) 右のとおり、プロローグからエピローグまで全篇を通して、原告作品の主題と貞奴の女優人生の縮図を描き出した序章に類似している。

7  人物事典の原告作品との類似性

原告作品と人物事典との類似性は、別紙三の58のとおり、明らかである。

8  著作権の侵害

右5ないし7のとおり、本件ドラマ等は、いずれも原告作品の表現、主題、構成等を剽窃したものである。したがって、本件ドラマ等を制作し、放送し、出版し、あるいはこれら放送等の行為に関与した被告らの行為は、以下のとおり、原告が原告作品について有する著作権及び著作者人格権を侵害するものである。

(一) 被告協会が、原告作品をドラマ形式に翻案して、本件ドラマを制作したことは、原告の翻案権(著作権法(以下「法」という。)二七条)を侵害する。

また、右翻案に係る本件ドラマは、原告作品の二次的著作物であるから、被告協会が本件ドラマを放送したことは、原告作品の二次的著作物についての放送権(法二八条、二三条)をも侵害する。

(二) ドラマ・ストーリー及び人物事典は、原告作品をほぼそのまま模倣したものであるから、被告会社がこれを制作して出版したことは原告の複製権(法二一条)又は翻案権(法二七条)を侵害し、さらに、ドラマ・ストーリー及び人物事典は原告作品の二次的著作物であるところ、被告会社がこれを含む本件書籍を出版した行為は、二次的著作物の利用に関する原著作者の権利(法二八条、二一条)を侵害する。

(三) また、原告作品の二次的著作物である本件ドラマ等について、いずれも原作者として原告の氏名を表示することなく、被告協会が本件ドラマを放送し、被告会社が本件書籍を出版したことは、原告の氏名表示権(法一九条)を侵害する。

9  被告らの責任

(一) 被告協会は、原告作品についての原告の著作権及び著作者人格権を侵害することを知りながら、本件ドラマを制作して放送し、被告中島は、その脚本を執筆することにより、右制作及び放送に関与したものであるから、被告協会及び被告中島は、いずれも、右著作権及び著作者人格権の侵害行為について、原告に対し損害賠償責任を負う。

(二) 被告会社は、原告の著作権及び著作者人格権を侵害することを知りながら、ドラマ・ストーリー及び人物事典を含む本件書籍を制作して出版し、被告協会及び被告中島は、右制作ないし出版に関与したものであるから、被告らは、いずれも、右著作権及び著作者人格権の侵害行為について、原告に対し損害賠償責任を負う。

10  原告の被った損害

(一) 本件ドラマに関して被告中島が受け取った脚本料は五〇〇〇万円を下らないところ、一般に原作料は右脚本料の二〇パーセントの一〇〇〇万円であるから、本件ドラマの制作、放送に関して原作者が通常受けるべき金銭の額は、右一〇〇〇万円である。したがって、本件ドラマに関する被告協会及び被告中島の著作権侵害行為によって原告が被った財産的損害の額は、一〇〇〇万円である。

また、本件ドラマに関する氏名表示権の侵害によって原告が被った精神的苦痛を慰謝するのに必要な慰謝料は、三〇〇万円を下らない。

(二) ドラマ・ストーリー及び人物事典に関し、被告中島がドラマ・ストーリーについて受け取った原稿料は二〇〇万円であったが、原作者が通常受けるべき原作料は、その半額の一〇〇万円を下らない。したがって、ドラマ・ストーリー及び人物事典に関する著作権侵害行為によって原告が被った財産的損害の額は、一〇〇万円を下らない。

また、右ドラマ・ストーリー等に関する氏名表示権の侵害によって原告が被った精神的苦痛を慰謝するのに必要な慰謝料は、一〇〇万円を下らない。

11  謝罪広告の必要性

被告ら(本件ドラマについては、被告協会及び被告中島)は、原作者として杉本苑子の氏名のみを表示し、原告の氏名をまったく表示することなく本件ドラマ等を制作して、これを放送又は出版したものであり、それによって原告の社会的声望は著しく損われたから、原告の社会的声望を回復するために、請求の趣旨第3項記載の内容の謝罪広告の掲載をすることが適当である。

12  結び

よって、原告は、本件ドラマに関し、被告協会及び被告中島に対し、著作権侵害による損害賠償の一部として各自五〇〇万円及び著作者人格権侵害による慰謝料として各自三〇〇万円(各自合計八〇〇万円)並びにこれらに対する不法行為による結果発生後である被告協会については昭和六〇年一二月二九日から、被告中島については昭和六一年一月一日から、それぞれ支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をすることを求め、ドラマ・ストーリー及び人物事典に関し、被告らに対し、著作権侵害による損害賠償として各自一〇〇万円及び著作者人格権侵害による慰謝料として各自一〇〇万円(合計各自二〇〇万円)並びにこれらに対する不法行為による結果発生後である被告協会及び被告会社については昭和六〇年一二月二九日から、被告中島については昭和六一年一月一日から、それぞれ支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をすることを求め、著作者人格権に基づき、被告らに対し、請求の趣旨第3項記載の謝罪広告の掲載をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3の事実のうち、被告協会が制作、放送したドラマ(本件ドラマ)の内容が貞奴の生涯を中心とする内容のものであること、被告会社が出版した本件書籍が本件ドラマの梗概の記載を中心とするものであることは否認し、その余の事実は認める。

3  同4の事実は知らない。

4  同5の事実のうち、原告作品及び本件ドラマのシナリオに別紙一のとおりの記述箇所があることは認め、その余の事実は否認する。

5  同6の事実のうち、原告作品及びドラマ・ストーリーに別紙三のとおりの記述箇所があることは認め、その余の事実は否認する。

6  同7の事実のうち、原告作品及び人物事典に別紙三の58のとおりの記述箇所があることは認め、その余の事実は否認する。

7  同8ないし11の事実は、否認する。

三  被告らの主張

1  原告作品の基本的性格

原告作品は、以下の(一)ないし(三)の点から、行跡の注目すべき人物の生涯を、様々な事件や言動を通じて描いたいわゆる伝記であり、事実の正確さを追求する点において、歴史ないし史学の分野に属する作品に当たる。したがって、歴史小説、すなわち、同じ歴史上の事柄を題材としながらも歴史上の事実の真相を究明することを目的とせず、美的観賞ないし娯楽上の享受を目的として作成され、発端からクライマックスを経て終結に至る首尾一貫した物語性をもち、それを時間的順序に従って因果関係をたどっていく書き方や主人公に対して与えられた明確な性格等を特徴とする小説形式とは異なる。

(一) 原告作品の本文中の序章及びあとがきの記載によれば、原告が原告作品を執筆した意図は、女性が抑圧された状況から解放される可能性を歴史的に検証しようとの要求から、明治以降の演劇史上において女優第一号と言われる貞奴の生涯を取り上げ、その行跡を明らかにし、現代のいわゆる女性運動を励まし、勇気づけようとしたところにあることが窺われる。

(二) 原告作品は、貞奴という実在の人物の行跡を、多数の先行資料によって語らせる手法により、ほぼ年代順に記述し、その帯広告にも、伝記であることが明示されている。

(三) 原告には、請求原因1の事実のとおり、原告作品以外の著書があるが、いずれも女性運動に励んだ人物を取り上げた伝記であり、原告作品もこれと同じ系列に属する作品と考えられる。

2  本件ドラマ及びドラマ・ストーリーの制作過程

(一) 本件ドラマは、原告作品が公表される昭和五七年八月一五日より八か月以上も前から、被告協会のドラマ部を中心にして独自に企画を立て、杉本苑子の「マダム貞奴」及び「冥府回廊」を原作として、被告中島が、そのオリジナリティを加えて脚本化し、独自に収集した膨大な文献を時代考証や登場人物像創造の参考資料として駆使して、制作されたものである。

(1)  本件ドラマのチーフ・プロデューサーとして制作に当たった松尾武(以下「松尾」という。)は、昭和五二年一二月ころ、書店で右「マダム貞奴」(昭和五〇年一月読売新聞社発行)を知り、一挙に通読して貞奴の波瀾の人生に興味を持ち、これを素材にしてドラマを制作したいとの着想を得、牧村史陽著の「川上音二郎」等の資料の閲読研究を行ったが、当時の番組枠に適当なものがなかったことなどから、ドラマ化は実現しなかった。

(2)  一方、ドラマ部においては、昭和五六年末ころ、従来の時代劇中心の大河ドラマを、明治以後現代に至るまでの間の時代を背景に、歴史に埋没している庶民の中の人物を取り上げ、史実を超えて自由な創作を加味して描く、いわゆる「近代シリーズ」に転換できないかとの検討を開始し、それにふさわしい原作のための調査資料の収集を始めたが、その際、「マダム貞奴」もリストアップされた。

(3)  ドラマ部は、昭和五七年二月ころから、リストアップされたいくつかの作品の検討を始め、以前から「マダム貞奴」のドラマ化に興味を持っていた松尾の積極的な活動等の結果、同年末ころには、これが昭和六〇年放送予定の大河ドラマの原作の最有力候補として選定されるに至ったが、一年に五〇回もの莫大な表現量を有する大河ドラマを「マダム貞奴」のみで維持するのは無理なため、新たに主人公として、音二郎、福沢桃介(以下「桃介」という。)、福沢房子(以下「房子」という。)を加えた上、別の観点から描いた新作(後の「冥府回廊」)を、杉本苑子に執筆してもらうことが、前提条件として付された。

(4)  これら一連の企画作業を経た昭和五八年三月、松尾は、本件ドラマのチーフ・プロデューサーとして、以下の事項について指示を受けた。

<1> 本件ドラマのテーマ(制作意図)は、貞奴、音二郎、桃介及び房子の四名が、互いに織りなす愛憎を中心に、庶民の姿を描くことにあり、五〇回分の大河ドラマのために、「マダム貞奴」の使用と、これと表裏一体をなす新作の執筆の可能性を探ること。

<2> 制作スタッフ(松尾以外にチーフ・ディレクターの清水満及びデスクの三名を中心とする。)において、時代考証、登場人物創造のための文献、資料を収集すること。

(5)  以上の企画のもとに、松尾は、杉本苑子に対し、昭和五八年四月上旬ころ、本件ドラマの制作意図を説明すると共に、桃介、房子の立場から新作を書き下ろしてほしい旨依頼し、同人はこれを承諾して、昭和五九年六月、新作「冥府回廊」を脱稿した。

(6)  また、松尾ら制作スタッフは、昭和五八年六月から、被告協会資料室の協力を得て、昭和五四年一一月放送のテレビ番組「歴史への招待〔川上座海を渡る-女優一号貞奴〕」制作のために収集された文献、資料の他、改めて明治、大正時代の政治、経済、文化全般にわたっての資料、文献を収集し、その結果、昭和五九年五月までには、リンゴ箱大の段ボール箱五個分に相当する文献、資料が収集されるに至った。

なお、右の過程において、松尾は、原告作品の存在を知り、それを閲読すると共に、昭和五九年三月、原告に対し、資料考証面での協力を求めたが、原告は、自分を原作者とするのでなければ協力できない旨述べたので、松尾は、原告から協力を得ることを断念した。

(7)  ドラマ部は、松尾ら制作スタッフと協議の上、昭和五八年八月、脚本担当者を被告中島とすることに決定し、松尾は、その旨被告中島に依頼したところ、被告中島は、杉本苑子から、脚本を制作するに当たって原作にないオリジナリティーを加えることの了承を得ることを条件に、脚本執筆に応じるとの返事であったため、松尾らは、杉本苑子の承諾を得て、被告中島の申入れに応じることにした。

(8)  被告中島は、杉本苑子の新作「冥府回廊」の第一回原稿ができ上がった昭和五九年二月二九日から脚本制作の作業に着手し、既に収集された文献、資料を読破、検討し、松尾らとの間でドラマに登場させる人物の取捨選択等の協議を経た上、同年七月下旬から八月上旬にかけて、第一回から第三回までの脚本の準備稿を書き上げ、これをもとに、同年八月下旬、第一回から第三回までの脚本を完成させ、以後一か月に約三回のペースで順次脚本を執筆し、昭和六〇年八月末ころまでに全脚本を完成させた。

(9)  以上のような過程で作成された被告中島の脚本に基づき、被告協会は、一〇〇名を超えるスタッフをもって、それぞれの専門的立場から映像化に向けての創意工夫を行い、昭和五九年九月二〇日の海外ロケーションを皮切りに、一年余りにわたって本件ドラマの収録を実施し、完成させた。

(二) 以上のとおり、本件ドラマは、被告協会が、杉本苑子の「マダム貞奴」及び「冥府回廊」を原作として、独自の企画のもとに制作したドラマである。

3  原告作品と本件ドラマ等の対比

(一) 法により保護される対象範囲は、当該作品の外面的表現形式(外面形式)及び内面的表現形式(内面形式)に限定され、それを超えたアイデア自体、歴史的事実・素材を要素とする先行資料、単語・慣用句・固有名詞等は、少なくとも法の保護の対象とならない。

したがって、複製権侵害が成立するか否かは、専ら二つの作品の外面形式における対比の問題であり、翻案権侵害が成立するか否かは、両作品の外面形式及び内面形式における対比の問題であり、仮に、アイデア自体、歴史的事実、素材等、単語、慣用句、固有名詞のみを対比して、類似している部分があるとしても、そのために著作権侵害が成立することはあり得ない。

(二) したがって、原告作品と本件ドラマ等の外面形式及び内面形式を対比して、右両作品の「著作物としての同一性」の有無を判断し、それがない場合には、本件ドラマ等による著作権侵害は成り立たないことになる。

ところで、前記1のとおり、原告作品は伝記であって、原告の独自の調査に基づいて判明した事実が原告作品中で公表されたとしても、それが歴史的事実として公表されている以上、当該事実自体が著作権の保護対象となるものではなく、この点で、原告作品の著作権の及ぶ範囲は、自ずと限定されている。

したがって、原告作品及び本件ドラマ等について「著作物としての同一性」があるとするためには、両作品の外面形式及び内面形式がすべて同一か又は大部分が同一であることを要するところ、以下のとおり、両作品には、「著作物としての同一性」がない。

(1)  著作物として態様の対比

原告作品は、多数の先行資料等を参考にして、しかも、可能な限り史実に基づいて執筆された態様のものであり、他方、本件ドラマ等は、多数の先行資料、独自の取材等を参考にして、男女間の愛憎、その時代の数々の社会情勢等を描写することによって、テレビドラマ用の生々しい人間像を創作するために制作されたものである。

(2)  叙述内容の対比

原告作品は、多数の先行資料をもとに探知収集した貞奴についての多数の歴史的事実を、歴史的経過に従って、資料の引用等によって叙述したもので、その「史実記述部分」と「史実記述部分」との間には大きな断層があり、「物語性」に通常存する「一貫した連続性」を欠いた叙述内容を特徴とするのに対し、本件ドラマ等は、貞奴、音二郎、桃介及び房子の四人の人間像を描写したもので、「一貫した連続性」のある叙述内容を特徴としている。

(3)  叙述形式の対比

原告作品は、先行資料に基づいて収集探知した歴史的事実を、資料の引用等により客観的な形式で叙述したものであり、その史実の記述としての性格上、独創的、個性的表現が見られないのに対し、本件ドラマ等は、各登場人物を現実に生存する生々しい人間として、会話体の叙述形式で創作展開している。

(4)  作品の性格の対比

原告作品は、前記1のとおり、伝記、すなわち、事実を主眼に置き、その実像に迫る記録性の高い作品であるのに対し、本件ドラマ等は、歴史的事実を踏まえながらも、それを超えた創作を求める「小説」の範疇に属する芸術性、娯楽性の高い作品である。

(5)  創作目的の対比

原告作品が伝記のジャンルに属する作品の創作を目的とするのに対し、本件ドラマ等はテレビドラマ放映を目的とする娯楽性のある作品の創作を目的とするものである。

(6)  構成の対比

原告作品は、その目次の頁に記載されたとおりの構成であるのに対し、本件ドラマの構成がこれと異なることは、明白である。

(三) 原告は、本件ドラマが原告作品を模倣して制作されたものであり、別紙一記載の類似箇所があると指摘する。しかし、類似箇所として指摘された点は、いずれも先行資料によって明らかになっていた歴史的事実の確認、検証に関する記述に過ぎず、およそドラマ化が可能となるような「物語性」を有する記述ではないため、結局、右指摘に係る本件ドラマの部分とは、同一性、類似性を欠くものである。

また、ドラマ・ストーリー及び人物事典は、本件ドラマの制作に当たって収集された前記各種先行資料に基づいて作成され、被告会社から、本件ドラマの放送開始に合わせて、昭和六〇年一月一〇日付けで発行された本件書籍の一部をなす記事として公表されたものであって、本件ドラマと同じく、原告作品とは全く別個の企画に基づいて作成された作品であり、別紙三における原告の類似箇所の指摘は、いずれも当を得ないものである。

四  被告らの主張に対する原告の認否及び反論

(認否)

1 被告らの主張1のうち、原告作品が伝記であることは認め、その余の主張は争う。

2 被告らの主張2、3は争う。

(反論)

1 本件ドラマ等の制作過程について

被告らは、本件ドラマ等の原作は杉本苑子の「マダム貞奴」及び「冥府回廊」である旨主張しているが、「マダム貞奴」にあっては貞奴の愛憎を、「冥府回廊」にあっては房子の愛憎をそれぞれ主題とする筋の展開及び結末を有するものであるのに対し、本件ドラマ等にはそれがなく、本件ドラマ等と右二作品とは、その基本的性格を異にしている。

したがって、本件ドラマ等は、右二作品を原作とするものではない。

2 原告作品と本件ドラマ等の対比への反論

(一) 翻案は原作の「内面形式を保ちながら外面形式を大幅に変更する」行為であることからすれば、著作権侵害の有無、特に翻案権侵害の有無を判断するに当たっては、主として両作品の内面形式を対比することをもって足りるというべきである。

被告らの主張は、この点の解釈を誤り、主として原告作品と本件ドラマ等の外形的な表現形式の相違(例えば、本件ドラマが原告作品と異なって会話体で表現されていることなど)をもって、翻案権の侵害がないと主張するもので、誤っている。

(二) また、被告らの主張する原告作品と本件ドラマ等との比較は、以下のとおり、妥当ではない。

(1)  原告作品は、その帯広告に記されているように、「大きな時代のうねりに翻弄されながらも、自らに与えられた運命を強靭な意志をもって生き切った女、しかも<負の切札>しかもたなかった一人の女の見事な翻身のドラマを、綿密な考証によって鮮やかに描出」した文芸作品であり、単に史実を記載しただけのものではない。

(2)  原告作品には、資料からの引用部分があるが、前記のように、一人の女の翻身のドラマであって、物語性を有し、したがって、当然に物語としての一貫した連続性を有するものである。資料は、原告の思想が資料に裏付けられていることを示すものとして引用されているに過ぎない。

(3)  原告作品は、単に資料を原文そのまま又はそれに近い表現方法で叙述するにとどまるものではなく、独創的、個性的表現も多く用いている。

(4)  原告作品は、伝記のジャンルに属するものではあるが、単に記録性の高さのみをもって評価されるべきものではない。

(5)  原告作品は、伝記のジャンルに属する作品として創作されたものではあるが、一方では、従来にはなかった新しい女性像を描き出そうとする意図もあったことは、無視されるべきではない。

(6)  作品の構成を目次どおりであると見る被告らの主張は、誤っている。著作物の構成は、その叙述内容との関連において初めて明らかになるものであって、目次における用語だけをもってその著作物の構成を決定することはできない。

五  原告の反論に対する被告らの認否

すべて争う。

第三証拠<省略>

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求原因1ないし3の事実(3の事実のうち、本件ドラマの内容が貞奴の生涯を中心とする内容のものであること及び本件書籍が本件ドラマの梗概の記載を中心とするものであることを除く。)、同5の事実のうち原告作品及び本件ドラマのシナリオに別紙一のとおりの記述箇所があること、同6の事実のうち原告作品及びドラマ・ストーリーに別紙三のとおりの記述箇所があること、並びに同7の事実のうち原告作品及び人物事典に別紙三の58のとおりの記述箇所があることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告作品の内容について

証拠(甲一、甲一八の三ないし五、七ないし一一、甲三五、四八、乙五〇、原告本人)によると、原告作品について以下の事実が認められる。

1  原告作品は、女優というものの存在しなかった我が国において初めて女優として活躍した貞奴の生涯を描いた伝記であり、その本文は序章から終章までの一〇章からなり、「あとがき」、「川上貞奴関係年表」及び「参考文献」の項が付されている。

2  原告作品は、貞奴の自我と主体性を問うという新しい視点から、丹念に資料を掘り起こし、原資料及び参考文献を洗い直し、関係者より聴き取りをし、選び出した素材に新たな光を当て、構成をして、貞奴七五年の生涯を詳細に再生し、その実像を求めた伝記である。その叙述の特徴は、当時の新聞・演劇雑誌等からの引用を多用し、資料に基づく具体的な記述を積み重ね、部分的に原告の創作的表現を交えて、貞奴の人物像を具体的に描き出そうとしたところにある。

したがって、原告作品の本文中には、引用を示すと思われる「< >」で囲まれた箇所が相当多数存在し、その末尾に出典が示されているものもある。また、末尾に掲げられた参考文献のほか、本文中でも文献の紹介をしている(例えば、第四章中の「ヨーロッパ客演旅行」の箇所でその実態に触れた文献(一一五頁)を、また、第八章中の「身に累を招く」の箇所で桃介に関する文献(二三四頁)を、それぞれ紹介している。)。

3  その梗概をみると、序章「厄年の決断」では、貞奴が三三歳で初めて女優として日本の舞台に立った事実を取り上げ、当時の困難な社会的状況の中で身をもって女優の道を切り開いたとして、作品全体のテーマを示し、第一章「酒の肴の物語」では、貞奴の生い立ちから音二郎と知り合う直前の二〇代前半までを、第二章「書生演劇」では、音二郎の出自とその活動の様子から貞奴と結婚して劇場を建築しこれを失うまでを、第三章「梨園の外道」では、音二郎・貞奴の築地出帆からアメリカ巡業までを、第四章「一九〇〇年パリ万国博覧会」では、貞奴がパリ万国博覧会で博した名声とこれと対照的な国内での否定的劇評、川上一座のヨーロッパ客演旅行の足跡を描き、第五章「女優開眼」では、貞奴の三三歳の一年間の女優業のパイオニアとしての活躍を、第六章「劇界の戦国時代」では、新派の分裂拡散期に新派の旗頭として活動する音二郎・貞奴夫妻を、第七章「貞奴一座」では、帝国座の落成から音二郎の死を経て貞奴の引退興行までを、第八章「かくれ里」では、女優貞奴の引退から名古屋の「二葉御殿」住まいまでの六年間を、終章「惜別の宴」では、桃介への惜別とこの世への惜別をかけて貞奴の六〇歳前後から晩年までを、それぞれ描いている。

4  原告作品において叙述されている事項の要旨は、別紙四「「女優貞奴」の叙述事項」のとおりである。

5  原告作品において取り上げられている人物は、別紙二「女優貞奴の構図」に記載されたとおりであり(括弧内の人名を除く。)、いずれも歴史上実在した人物である。そして、貞奴については、人物の心情の動きにまで踏み込んで記述されているが、音二郎、桃介、房の心情に関する記述が一部に見られるほかは、いずれも歴史上の人物としてその業績、行動等が客観的に記述されているに過ぎない。

三  本件ドラマによる著作権侵害の成否について

1  前記一の争いのない事実及び証拠(甲五の一、二、乙九、一五、三五ないし三七、四六、四九、五五、七八、証人松尾、原告本人、被告中島本人)に弁論の全趣旨を総合すると、本件ドラマの制作の経緯について、以下の事実が認められる。

(一)  被告協会においては、昭和五九年度からの大河ドラマのテーマに近代を取り上げることとしていたが、昭和五七年一二月、被告協会のドラマ部は、部として昭和六〇年度大河ドラマの原作を「マダム貞奴」とすることに決め、昭和五八年一月には被告協会内部の最終的な承認を得た。そして、昭和五八年三月、被告協会のチーフ・プロデューサー松尾武が昭和六〇年度大河ドラマの制作責任者に任命された。

(二)  しかし、一年間にわたって放送される大河ドラマを維持するためには、貞奴を中心とする近代芸能史だけでは量的に不足していたので、描く範囲を政治、経済にまで広げるために、福沢桃介・房子夫妻を中心に描いた新作の執筆を杉本苑子に依頼することとした。そして、昭和五八年四月に杉本苑子と連絡を取り、「マダム貞奴」と表裏一体をなす新作の執筆について大筋の合意を得た後、杉本とスケジュールの調整を行い、同年六月には、杉本の了承を得た。

(三)  被告協会のスタッフは、そのころ、ドラマ制作に必要な関係資料の収集を開始し、資料を収集した。収集された資料は多数であるが、牧村史陽「川上音二郎」(上・中)(昭和三八年)、明石鐵也「川上音二郎」(昭和一八年)、村松梢風「川上音二郎」(昭和二七年)、金尾種次郎「川上音二郎欧米漫遊記」(明治三四年)、同「川上音二郎・貞奴 漫遊記」(明治三四年)、藤森栄一「ドキュメント日本人・6『アウトロウ』」(昭和四三年)、尾崎宏次「女優の系図」(昭和三九年)、倉田喜弘「近代劇のあけぼの~川上音二郎とその周辺」(昭和五六年)、宗谷真爾「虹と炎の風景 女優川上貞奴物語」(昭和五七年)、河竹繁俊「日本演劇全史」(昭和三四年)、生方たつゑ「川上貞奴」(人物日本の女性史9)(昭和五二年)、尾崎秀樹「川上貞奴」(図説人物日本の女性史11)(昭和五二年)、長谷川時雨「アダム貞奴」(昭和初期ころ)、戸板康二「物語近代日本女優史」(昭和五五年)、矢田弥八「激流の人 福沢桃介の生涯」(昭和三四年)、被告協会「NHK歴史への招待12~川上座海を渡る-女優第一号貞奴」(昭和五六年)、「新派秘話・貞奴もの語」(都新聞・昭和八年)、牧村史陽「浪花風流人物記川上音二郎」(新大阪新聞・昭和三八年)等が含まれていた。また、収集された資料の中には、原告作品も含まれており、被告中島及び被告協会制作スタッフは、これを閲読し、本件ドラマ制作の材料として利用した。

(四)  被告協会は、昭和五八年八月、本件ドラマの脚本の制作を、脚本家でありまた映画監督の経歴もある被告中島に依頼した。被告中島は、これを承諾したが、他局の仕事を抱えているので脚本執筆の準備に入るのは昭和五九年二月ころからにしてほしいとの申入れをし、被告協会は、これを了承した。

(五)  杉本苑子は、昭和五八年一二月から新作の執筆のため被告協会スタッフと共に福沢家の関係者、川上富司らに対する取材を開始し、被告協会から送られてきた福沢家を中心とする関係資料をもとに、「冥府回廊」の執筆を開始した。そして、昭和五九年二月二九日には、雑誌連載の第一回分生原稿が完成し、被告協会に届けられた。

(六)  右同日、被告協会は、昭和六〇年度大河ドラマとして「春の波涛」を制作すると発表し、その原作は、杉本苑子著「冥府回廊」、脚本は被告中島とした。

(七)  被告協会の制作スタッフは、脚本執筆の準備のために、収集した資料に基づいて歴史的事実をカードに記載し、これを元にして主要人物年表を作成した。また、被告中島と制作スタッフとの間に、時代背景の研究、登場人物の設定などの検討会が度々重ねられ、昭和五九年三月末の箱根の合宿では、五〇回に及ぶ本件ドラマ全体の大きな流れが具体的に検討され、同年四月、第一回から第五二回までの各回の構成案を作成した。他方、同年三月二七日には、貞奴を松坂慶子、音二郎を中村雅俊、桃介を風間杜夫、房子を壇ふみとして、配役を発表した。

(八)  被告中島及び松尾武は、昭和五九年五月三日から、音二郎、貞奴が一座を率いて巡業したアメリカ、イギリス、フランスの各地へ、資料収集、シナリオハンティング、ロケハンティングを兼ねて、彼らが通ったコースを旅行し、関係資料を収集した。その後、被告中島は、シナリオ執筆の作業に入り、他方、杉本苑子は予定どおり、同年六月に「冥府回廊」を脱稿した。

(九)  昭和五九年七月二八日、本件ドラマの第一回の準備稿ができ上がり、以下第二回分が同年八月六日、第三回分が同月一一日、それぞれでき上がり、これらの準備稿について制作スタッフとの検討を経た上で、同月二一日、第一回から第三回までの決定稿が完成した。以後、被告中島は、一か月に平均四本(放送四回分)の割合で脚本の決定稿を完成させ、昭和六〇年八月末にその全部を脱稿した。

(一〇)  そして、昭和五九年九月二〇日のアメリカロケを皮切りに、本番の収録作業が開始され、次いで、ヨーロッパロケ、生田のオープンセットでの国内ロケが実施され、それぞれ収録作業が行われた。さらに、同年一一月六日からはスタジオ収録が開始され、昭和六〇年一〇月までに、全五〇回の本件ドラマが制作された。

(一一)  被告協会は、本件ドラマを、昭和六〇年一月六日の午後七時二〇分から午後八時四五分までの第一回放送を皮切りとして、以後、毎週日曜日午後八時から四五分番組として一年間連続放送した。

(一二)  他方、原告は、被告協会に対し、本件ドラマの企画が原告作品に関する著作権を侵害するのではないかと申し入れ、昭和五九年二月六日、新潮社と被告協会との間で折衝が始まった。そして、同年三月一四日に、松尾は原告と面談し、本件ドラマと原告作品の著作権との関係について話し合ったが、結論に至らなかった。

2  また、証拠(甲三の一ないし五、乙九、乙一〇の一ないし三、乙一二、一三)と弁論の全趣旨によると、本件ドラマの内容について、以下の事実が認められる。

(一)  本件ドラマの各回の概要と構成は、別紙五「「春の波涛」の各回の概要及び構成」記載のとおりであり、各回について、その内容に応じた標題が付けられている。

(二)  全五〇回分の放送時間は、合計三八時間一〇分であり、そのシーン数は、合計一五六六であるが、そのうち、貞(貞奴)が登場するのは五〇回各回にわたり、合計五八六シーン(全シーン数の三七・四パーセント)であり、音二郎は第一回から第四一回まで(第六回を除く。)四四三シーン(二八・三パーセント)、桃介は第九、一二、一三、一五、一七、二二、二五、三四、四一回を除く各回(合計四一回)にわたり一九四シーン(一二・四パーセント)、房子は第一、二、四、五、九、一二、一三、一五、一七、一八、二一、二二、二五、二八、三四、三八回を除く各回(合計三四回)にわたり一四八シーン(九・五パーセント)である。このほか、自由民権の壮士奥平剛史も、第一回から第五回まで、第九回、第一七回から第三七回まで(第一八、二五、二六、二八、三二、三三回を除く。)(合計二一回)にわたり九一シーン(五・八パーセント)登場する。

3  翻案権侵害の成否について

(一)  著作物についてその翻案権の侵害があるとするためには、問題となっている作品が、右著作物と外面的表現形式すなわち文章、文体、用字、用語等を異にするものの、その内面的表現形式すなわち作品の筋の運び、ストーリーの展開、背景、環境の設定、人物の出し入れ、その人物の個性の持たせ方など、文章を構成する上での内的な要素(基本となる筋・仕組み・主たる構成)を同じくするものであり、かつ、右作品が、右著作物に依拠して制作されたものであることが必要である。

ところで、原告作品は、前示のとおり、実在した人物の伝記であり、歴史上の事実を記述し、又は新聞・雑誌、他の著作物等の資料を引用し、若しくは要約して記述した部分が、その大部分を占める。そして、このような場合には、著作者の思想又は感情を創作的に表現したものとして著作物性を有する部分(独創性のある部分)についての内面形式が維持されているかどうかを検討すべきであり、歴史上の事実又は既に公にされている先行資料に記載された事実に基づく筋の運びやストーリーの展開が同一であっても、それは、著作物の内面形式の同一性を基礎付けるものとは言えない。

(そして、右のような意味での原告作品の内面形式の特徴は、当時の新聞、雑誌、関係者の供述等の一次的資料から引用又は要約した客観的な事実を積み重ね、部分的に原告の創作的表現を交えて、我が国初の女優として主体的に生きた貞奴の人間像を具体的に描き出そうとしたところにあるものと言える。)

(二)  そこで、前記二、三1、2判示の事実を前提として、原告作品と本件ドラマとを比較すると、次の点を指摘できる。

(1)  分量

原告作品は本文二五八頁の単行本であるのに対し、本件ドラマは、放送時間合計三八時間一〇分を要し、「NHKテレビ大河ドラマ全シナリオ」として出版されたものは全五巻合計一三四七頁にのぼる(甲一、甲三の一ないし五)。

(2)  対象とする年代

原告作品が、貞の幼少時代から晩年までを対象とするのに対し、本件ドラマは、貞の小奴の時代から二葉御殿までを対象とする(第五〇回のラストでは、貞の墓、貞照寺の場面等が現われるが、ドラマの筋の一部としてではない。)。

(3)  登場人物

原告作品では、前示二5のとおり、多数の人物が取り上げられているものの、そのほとんどは、歴史上実在した人物について客観的な業績、行動等を叙述するものであるのに対し、本件ドラマでは、歴史上実在しない人物を登場させ(田代重成、雲井八重子、三浦又吉、野島覚造、野島イト等)、また、歴史上の人物であっても、ドラマ中の人物として脚色し、いずれも必ずしもドラマの基本となる筋の中で重要な役割を果たしているとは言えないが、そのストーリーの展開においては、独自の役割を持たせている。

(4)  描写の方法

原告作品の記述は、基本的には先行資料の記述に基づく客観的なものであり、部分的に、原告独自の見方や資料に基づく推測を交えている。

これに対し、本件ドラマでは、ナレーション、新聞記事の紹介等により、簡潔に時代背景や社会の動きを紹介する部分が含まれてはいるものの、表現の大部分は、登場人物の台詞によっており、基本的な筋、ドラマの仕組みとして、登場人物相互の人間関係、その心情等の描写が重視され、娯楽性のあるドラマとして構成されている。

(5)  取り上げるエピソード等の内容

原告作品中では、貞の幼少時代、川上一座の二度目のヨーロッパ客演旅行、お伽芝居、パリ再訪、川上絹布設立、児童楽劇園、貞照寺の建立、貞の晩年の生活ぶり等が相当の頁数をさいて叙述され、いずれも貞奴の生涯を特色付けるものとして描かれているが、これらは、本件ドラマではほとんど取り上げられていない。

また、本件ドラマでも描かれてはいるが原告作品ほどの比重は置かれていない部分として、音二郎と貞が東京湾から小舟で出帆して神戸に着くまでの経緯、川上一座がアメリカ東海岸からパリに着くまでの経緯、貞の二葉御殿での生活等がある。

他方、本件ドラマで取り上げられているエピソードであって、その基本的な筋となり、又はストーリーの展開上独自の役割を果たしているもののうち、原告作品には現われないか又はごく簡単にしか触れられていないものとして、慶応義塾での音二郎と桃介の出会い(第一回)、福沢家での遊戯会(第三回)、野島イトが浜田屋に来る経緯(第四回、第五回)、奥平剛史の自由民権家としての活動、桃介が房子の婿候補となる経緯(第六回)、貞と書生演劇により世に出る前の音二郎との出会い(第七回)、貞の水揚げの儀式とその前に桃介と会う場面(第八回)、憲法草案の盗難(第九回)、桃介が音二郎と再会する場面(第一一回)、貞が川上一座の公演を観るため小田原まで行き、音二郎と意気投合すること(第一三回)、音二郎が貞に結婚を申込むこと(第一四回)、奥平八重子が音二郎の子を連れて浜田屋に現われること(第一五回)、桃介の妹せい子の登場(第一六回)、貞が落籍祝いの用意をさせ音二郎が貞との結婚を決意すること(第一八回)、桃介が喀血して養生園で療養する場面での房子とのやりとり(第一九回)、イトと音二郎の関係(第二〇回)、貞が桃介に川上座建設費用の調達を相談すること(第二一回)、音二郎の選挙運動が盛り上がること(第二五回)、桃介と諭吉との葛藤(第三〇回)、パリで音二郎が奥平と再会すること(第三〇回)、桃介は貞に思いを寄せていること(第三一回)、桃介がもと貞と音二郎が住んでいた大森の家に住むようになり、房子が怒ること(第三二回)、福沢諭吉の死に対する桃介の態度(第三三回)、貞奴のオセロを桃介が観に来たこと(第三五回)、株で儲けた桃介が葭町芸者を買切りにし、その機会に音二郎が桃介に近代式劇場の建設を頼んだこと(第三六回)、松井須磨子の台頭(第三九回)、須磨子と抱月の関係(第四二回)、川上一座の解散(第四三回)、福沢家の娯楽館の舞台開きに貞奴と須磨子が出演したこと(第四五回)、房子が桃介と貞の間柄を知りヒステリーを起こすこと(第四七回)、抱月の死亡(第四八回)、須磨子がカルメンを演じ、抱月のあとを追って自殺すること(第五〇回)である。

(6)  貞奴の描写

原作作品では、貞奴の生涯にわたる行動、業績について、客観的に記述しているが、特に、従来注目されていなかった女優としての資質、本人の自我・主体性等に着目し、これを、客観的な事実を紹介し、かつ、これに基づく原告独自の評価を加えることによって、具体的に表現しようとする態度が見られる。例えば、ヨーロッパにおける女優貞奴の評価を、ヨーロッパの著名な芸術家の批評を引用することによって紹介し、帰国後の女優としての活動についても、「オセロ」、お伽芝居、「ハムレット」、「トスカ」、「サロメ」等の劇評を詳しく紹介している。また、女優引退後の活動(川上絹布設立、二葉御殿、児童楽劇園、貞照寺)についても、その生涯を特徴付けるものとして描かれている。さらに、原告作品全体では、「貞が、芸者、女優及び妾という三つながら社会的に排斥される立場にありながら、女優の先駆として道を開いた」という原告独自の貞奴観が現われており、その裏には、貞を取り巻く社会に対する批判的な見方が感じ取られる。

これに対し、本件ドラマでは、貞奴が最も重要な主役であり、全回にわたって登場するけれども、貞奴が登場しないシーンも全体の約三分の二にのぼる。また、貞奴の描き方も、主役として、自我と主体性を有する人間として描かれてはいるが、貞奴の周囲には、音二郎、桃介、養母亀吉、浜田屋の芸者仲間、川上一座の座員が常に登場し、その人物たちに励まされながら生きるという描写がされており、「芸者、女優、妾」という社会的に排斥される身分にありながら、たった一人で困難な状況に立ち向かうという人間像が表現されているとは言えない。また、女優として活動した時期ばかりでなく、それ以前の伊藤博文との関係、音二郎との交際、音二郎との結婚後の行動についてドラマの筋として重点が置かれている。女優としての活動についても、第二八回「アメリカ御難日記」以降、第二九回「女優誕生」、第三〇回「洋行中の悲劇」、第三一回「パリで切腹」、第三二回「母と子の別れ」までで、アメリカ・ヨーロッパ巡業中の貞奴の活躍を描いてはいるが、この部分は従来から「川上音二郎 欧米漫遊記」(乙四四)、「川上音二郎貞奴漫遊記」(乙四五)等で描かれていた部分であり、広く知られたところである。さらに、第三四回「揺らぐ心」以降、第三五回「女優第一号」、第三六回「吹きすさぶ風」、第三七回「女優学校は……」、第三八回「ふるさとの山河は遠く」、第三九回「その名は須磨子」、第四二回「女の戦い」、第四四回「醜聞」、第四五回「桃介座」、第四六回「カチューシャの唄」、第四七回「女の中の夜叉」及び第四八回「抱月、逝く」において、その筋の一部として貞奴の女優としての活動が描かれているけれども、第三九回「その名は須磨子」以降は、松井須磨子の台頭が取り上げられ、その標題からも明らかなとおり、須磨子と貞奴との比較、須磨子自身の行動に重点を置いて描かれている。

(7)  他の主要人物の描写

<1> 音二郎

原告作品では、音二郎が上京してから貞と結婚するまでの間を三七頁から五八頁までの二二頁(全頁数の八・五パーセント)をかけて描写しているが、音二郎の活動については、歴史上の事実に基づく客観的な描写が中心となっている。これに対し、本件ドラマでは、音二郎は第一回から登場し、貞と結婚するのは第一八回であるから、この部分が全体の三六パーセントを占める。そして、桃介、八重子、奥平及び貞との出会いとその後の交流、小田原での騒動、中村座での成功の経緯等が描かれ、この部分の描き方は、両者で大きな相違がある。

さらに、音二郎・貞の結婚後から音二郎が黒岩涙香を撃とうとするまでの間は、原告作品では五九頁から六七頁まで九頁(全頁数の三・四パーセント)に過ぎないのに対し、本件ドラマでは、第一九回「壮絶快絶」、第二〇回「思惑ちがい」、第二一回「日本一! 音二郎」、第二二回「華麗なる幕あけ」、第二三回「危うし、川上座!」、第二四回「好きも嫌いも」及び第二五回「音二郎錯乱」の全七回の放送(一四パーセント)によって描かれている。

右のとおり、本件ドラマの前半では、原告作品と異なり、音二郎の活動に重点を置いて描いている。

<2> 桃介

原告作品では、桃介については、貞との最初の出会い(馬の場面・二六頁)と二度目の出会い(母衣引の場面・三六頁)のほかは、音二郎没後の貞との関係が描かれ、その他には、第八章中の「身に累を招く」においてその生涯と人となりをごく簡潔に紹介しているに過ぎない。

これに対し、本件ドラマでは第一回から第五〇回まで合計四一回、一九四シーンにわたって登場し、慶応義塾の塾生としての生活から、婚約、留学、帰国、結婚、病気療養、株式投機、福沢家との関係、貞・音二郎に対する支援等を描写している。

<3> 房子

原告作品では、桃介との婚約のほか、第八章中の「身に累を招く」において、その生活の様子、桃介との関係等を紹介しているに過ぎない。

これに対し、本件ドラマでは、第三回から第五〇回まで合計三四回、一四八シーンにわたって登場する。そして、桃介の留学中に貞と会い、また、貞奴のライバルとなる松井須磨子を応援するなど、貞に対する競争意識を持つ様子、桃介の病気療養等の場面で貞に対する思いが断ち切れない桃介と心が通い合わない様子等が描かれている。

<4> 松井須磨子

原告作品では、サロメを演じたことなど、歴史上の事実をごく簡潔に紹介しているに過ぎないが、本件ドラマでは、特に第三九回以降、貞奴と対決する女優として、重点を置いて描かれている。

(三)  次に、原告の類似箇所の主張(請求原因5(二))について検討する。

原告は本件ドラマによる翻案権の侵害を主張するものであるから、前示のとおり、本件ドラマと原告作品との内面形式の同一性の有無を判断すべきであり、本件ドラマの表現中に部分的に原告作品の表現と類似する箇所があるとしても、そのような類似が基本となる筋・仕組み・構成に関わるものであるために内面形式の同一性が基礎づけられることとなる場合はともなかく・基本となる筋・仕組み・構成には関わらないいわば末節の表現が類似するにとどまる場合には、内面形式の同一性の判断には影響しないものと言うべきである(なお、そのような末節の表現の類似であっても、著作権侵害の成立のためのもう一つの要件である依拠性の判断に当たっては、判断要素の一つとなる。)。

そこで、以下、右のような観点から、原告の指摘箇所について検討する。

(1)  「主題とその展開の類似性」の主張(請求原因5(二)(1) )について

<1> 別紙一の一(女優の資質し素養)について

原告作品の当該箇所は、演芸画報第五年第一号の「女優歴訪録(一)」(乙三八)からの引用ないし要約と言うべきであり、原告の創作に係る表現ではない。また、貞の芸者芝居と後半の女優としての活動を結び付けて「だから、まんざらのしろうとでもなかったわけだ。」とした先行資料もあり(乙二三の二)、これを結び付ける点は、必ずしも原告の創作に係るものとは言えない。

また、そもそも、当該箇所は、貞の芸者時代について記述した「芸者「奴」」(第一章)の中で、貞が伊藤博文との特定の関係を解消したころの活動の一つとして、芸者芝居に熱中していたことを紹介するものであるのに対し、本件ドラマ(第一〇回)では、房子をお座敷に連れてきて貞と対面させた福沢一太郎に、貞が芸者芝居の切符を大量に売りつける話の一部として、貞の台詞の中で用いられているに過ぎず、原告作品とは異なる筋の中で用いられている。

<2> 別紙一の二(女優になるきっかけ)について

別紙一の二の上段の記述のうちの前半部分は、先行資料で紹介されている事実を要約したものであり(乙一七、三八)、後半部分は、これについて原告独自の評価を加えたものと見ることができる。

これに対し、本件ドラマ(第二七回、第二八回)では、前半部分については、原告作品そのままの表現は「ポスター」なる語のみであり(しかも、ポスターには「オットー・アンド・ヤッコ」と記されていたというのであり、この点は原告作品に記述がない。)、また、後半部分については、原告作品が指摘するような貞の「わだかまり」は、本件ドラマでは表現されていない。

<3> 別紙一の三(欧米で舞台に取り組む姿勢)について

川上一座がシカゴ・ライリック座で舞台に立ち好評を博したことについては多数の先行資料があり(乙一七、一八、乙一九の一、乙二一、二五、三三、三八、四四、四五)、一座の者が必死になって舞台をつとめたことも記載されている(村松梢風「川上音二郎(上)」(乙一九の一)二六九頁には、「しかし芸はどうあろうとも、昨日の芝居は一座の者にとって真に命がけの芝居だった。舞台で死ぬ覚悟で演ったのだった。それか見物人の胸をうったのであろう。」とある。)。

<4> 別紙一の四(女優として立つ決意)について

貞は帰国当初舞台に立つことを拒んでいたこと、音二郎や金子堅太郎の説得により「オセロ」の鞆音役で国内では初めて舞台に立つことになったこと、貞には舞台に立つ腕のないことを自ら知っていたこと、舞台に立つとなった以上は、自分自身の独力で新しい女優という道を創り開拓していくことを決意し、寒風が吹きすさぶ茅ヶ崎の海岸に立って声を鍛えたこと、涙ぐましい努力をしたことは、いずれも先行資料に紹介されている事柄である(乙一七、一八、乙一九の二、乙三八)

<5> 別紙一の五(女優としての評価)について

イの下段は、新聞の劇評記事を映すもので、上段と比較して表現の類似があるとは言えない。

ロについて、本件ドラマは、貞が立派な女優になったということを描写するに過ぎず、表現は類似していない。

<6> 別紙一の六(女優養成所)について

音二郎と貞が女優養成所を始め、これに対する強い非難の声があったということは、歴史上の事実である(乙二三の三、乙三二、乙六一の一、二)。これに対し、本件ドラマは、第三六回から第三八回にかけて、女優養成所の設立をめぐる動きを基本的な筋とし、女優養成所の意義とこれに対する世間の非難を貞の台詞等を通して表現しているものの、原告作品に描かれているような「すさまじい非難」としては描かれていないし、女優養成所の設立に桃介が協力したこと、お客は女優を求めているとして、貞一人で世間の偏見に立ち向かったという構成ではないこと、後の松井須磨子はこの女優養成所には入れなかったこと、音二郎が大阪に帝国座の建設を進めている関係で、女優養成所が音二郎・貞の手から帝国劇場に取り上げられたこと、という筋になっており、原告作品とは、基本的な筋が異なる。

<7> 別紙一の七(音二郎没後の活躍)について

イについて、貞奴が「トスカ」を演じ評価を博したこと自体は、歴史上の事実である(乙二四、二六、三一、三八)(なお、本件ドラマでは、貞が演ずるトスカを、客席から桃介・房子ら、島村抱月・松井須磨子らが観ており、公演後、房子、抱月、須磨子らが食事に行くというのに、桃介は誘いを断わって貞と二人で乾杯するという場面に続くという筋の一部になっている。)。

ロの貞奴がサロメを演じたこと、名古屋で松井須磨子と競演になったことは、いずれも歴史上の事実である(乙三八、六二ないし六四)。

ハについて、両者の表現は類似していない。

<8> 別紙一の八(女優引退)

大正五年三月一四日付け東京朝日新聞には、「貞奴俄に帰京す」という記事が掲載されており、これによれば、貞奴が九州巡業中、桃介が病気という電報が届き、貞奴は夜行列車と汽船で帰京し、帰ってみると桃介は大分よくなったが今度は貞奴が病気になり、九州へ帰れなくなったというのである(甲四七)。原告作品の当該箇所は、この電報と貞奴の引退を結び付けた点、桃介危篤の電報が桃介の術策ではなかったかとする点、桃介は事業の成功のために貞を必要としていたとする点で、原告の創作に係るもので(甲一三)、本件ドラマにおいて、偽電報のため貞が引退に追い込まれるという筋が組まれているのは、原告作品の右のような記述がヒントになっているものと推認される。しかし、本件ドラマの偽電報は、貞に対して嫉妬する房子が、貞を試すためにせい子と相談して仕組んだものであって、筋が異なるし、このような相違は、本件ドラマ全体の桃介、房子の位置付けを考慮すると、脚色上の修正にとどまらないと言うべきである。

<9> 主題の要約について

第五〇回のラストのシーンで示されている、貞の女優としての人生で節目となった各種のエピソードは、いずれも歴史上の事実である。また、このラストのシーンがあるからといって、本件ドラマの内面形式がこのシーンに表わされているとは言えない。

<10> 小括

右に判示したところによると、女優の資質と素養、女優になるきっかけ、欧米で舞台に取り組む姿勢、女優として立つ決意、女優としての評価、女優養成所、音二郎没後の活躍のいずれについても、先行資料に記載がある事柄であり、原告の創作的表現に係る基本的な筋ないし仕組みということはできない(なお、従来、貞奴について、右のような筋ないし仕組みをすべて備えた著作物がなく、原告作品はその点において独自のものであるとしても、貞奴は歴史上の人物であって、すでに我が国の女優第一号としての評価がされていたものであり、右のような筋ないし仕組みそのものに著作物性があるとは言えない。)。

これに対し、偽電報が女優引退のきっかけとなったとする点は、右と異なり、原告の創作に係るものと言うことができるが、本件ドラマは、右<8>に判示したとおり、これを参考にしたものではあるが、同一の内面形式を保つものではないと言うべきである。

(2)  「貞奴をめぐる主要な人間関係の類似性」の主張(請求原告5(二)(2) )について

<1> 別紙一の九(貞が自分から浜田家へ来た挿話)について

別紙五によれば、イトは、野島覚造の妹であり、麟介に対する恋愛感情を持ち、水揚げされる前に貞から麟介との仲を取り持とうとされるが、偶然、音二郎と関係を持ってしまうことになり、その後は、亀吉の後を継いで浜田屋の女将になるなど、本件ドラマ全体の筋の中で独自の地位を有するものである。したがって、イトを貞の分身とみるのは相当ではない。

<2> 別紙一の一〇(貞が音二郎に引幕を贈った話と、貞の音二郎観・結婚観)について

イの貞が音二郎に引幕を贈ったという事実自体については、先行資料がある(乙九一)。また、そもそも、原告作品の当該箇所には、「貞に限らず、名妓たちが競って音二郎に入れあげ、音二郎を自分の座敷に呼んだり、引幕を贈ったりした。貞も負けずに着物羽織や、九枚笹の川上家定紋入りの入力車まで贈呈したらしい。」とあり、貞が音二郎に引幕を贈った事実がはっきりと表現されているわけではない。

ロについては、原告作品には、貞の姉がわずかなお手当で裏店に放りこまれているとか、姉が芸者屋に貰われていった貞の身を案じているといった表現はなく、表現の類似はない。

ハの貞が「書生が好きだった」という点は、先行資料に記述されているところであり(乙一八、六六)、また、例えば、「貞奴のように目覚めていた女性が、初恋をあきらめて、音二郎さんと結婚したことを不思議だとおっしゃる方もおりますけれど、芸者から玉の輿に乗って出世したといわれるのは嫌だったと洩らしていたことがございます。……しかし、音二郎さんが、一介の貧乏書生ではあっても、志が高く、民権思想を形にするほどの方ですから、それなりに魅力もあり、貞奴は年下ではあっても、育てようという心意気がはたらいたのではないでしょうか。」(乙二)という記述もある。これらを前提とすると、原告作品に現われている貞の結婚観が原告の創作に係るものとは言えない。

<3> 別紙一の一一(桃介との遭遇、親交そして破恋)

イの貞と桃介の邂逅の描写については、原告作品のように表現した先行資料はなく、原告の創作に係るものと認められる(甲一三)。しかし、貞と桃介の出会いについては、「ある日、向島で落馬したところに、偶然桃介さんが通りかかり、親切に介抱してくださったそうで、あとで小奴は、お菓子をもって慶応義塾の寮に二度、三度とお訪ねしたそうです。」と記述した先行資料があり(乙二)、原告作品の特徴は、原告作品に表現されたような筋及び仕組みによる貞と桃介との出会いの表現にあると言うべきである。そして、原告作品が、貞が成田山まで足をのばした帰りに野犬の群に襲われたとの出来事とし、貞は「不動明王さながらに」立つ黒いシルエットを見て、「先刻お詣りしてきたばかりのお不動様が本堂を抜き出て、助けに来てくれたかのようだった。貞は雷に打たれたように身が震えた。」とするところを、本件ドラマは、成田山の帰りではなく隅田川の土手であること、野犬に襲われたのではなく、馬が突然暴れ出したこと、桃介は友人田代とその前方を歩いていたが、馬の前に両手を広げて立ちふさがり馬を止めたこと、桃介は「お怪我はありませんか」と聞き、そのまま立ち去ろうとしたこと、貞に名を聞かれても桃介は名乗らず、田代が貞に教えたことといった点で原告作品とは異なるものであり(甲三の一)、基本的な筋、仕組みともに異なると言うべきである(なお、本件ドラマのこのような表現は、原告作品以外の先行資料(乙二、五、三四)と比較した場合、原告作品に最も近いものであり、その意味で、原告作品を参考にしたものと推認することはできる。)。

ロのその後の貞と桃介の交際については、二人が待合ではなく屋外を散歩したこと、貞の生家が没落したという身の上話をしたことという点で共通していることから、本件ドラマが原告作品をヒントにしたもの推認される。しかし、原告作品は、二人の交際について、別紙一の一一ロの上段のとおりわずかに四文で触れているに過ぎないが、本件ドラマでは、まず貞が桃介に手紙を書き、亀吉がさしむけた俥引きの又吉の監視のもとで増上寺境内を散歩し、貞の身の上話から、将来を誓って指切りするという仕組みをとり、さらに、その後の筋として、慶応義塾の遊戯会の場面(第三回)、人形町でのデート(第四回)、貞が房子の姉から桃介と房子との縁談があることを聞かされること(第五回)を備えている。

ハの別離についても、原告作品は、「『お互い道は違っても、いつか立派に成功して、またお目にかかりましょう』貞は別れの言葉を告げて、桃介の旅立ちを見送った。」とするに過ぎないのに対し、本件ドラマでは、貞は人形町の座敷で桃介から別れを告げられ、表へとび出すこと(第七回)、さらに、水揚げが決まった後も桃介に手紙を出して、亀吉の目を盗んで桃介に会うが思いを遂げることができなかったこと(第八回)という筋が展開されている。

(3)  個別的な剽窃の類型について

原告は、個別的な剽窃の類型として、<1> 引き写しの方法による剽窃(別紙一の一二ないし一九)、<2> オリジナリティーの盗用例(別紙一の二一ないし二六)、<3> 転用の方法による剽窃例(剽窃隠ぺいの塗り残り)(別紙一の九、二二、二七)を指摘する。

しかしながら、いずれの点についても、原告作品及び本件ドラマの内面形式の同一性を基礎付けるような重要な筋に関わるものではないと言うべきであるから、本項冒頭の判示に照らし、原告指摘のとおりの類似があるとしても、内面形式の同一性を判断するに当たっては、意味を持たないと言うべきである。

なお、<1>のイ(音二郎の出自の延べ方)、ロ(貞の芸者芝居の経験を語る表現)、ニ(鳥森芸者一行の演目)、ホ(音二郎の銅像の記述)及びへ(帝国座の作りとその客足の記述)については、先行資料があり(イについて乙一、乙二三の一、乙六七、ロについて乙三八、ニについて六八、ホについて乙一九の二、乙三八、六九、ヘについて乙三二、三八、七〇、七一)、また、ハ(貞のポスターに関する表現)、ト(ゴロ合わせによる引き写し)、チ(経文のカナ表記の引き写し)は、原告指摘の箇所のみを取り出してそこに独立した著作物性があるとすることもできない。

また、<2>のイの一ツトセ節から官ちゃんと官吏侮辱罪、逮捕のエピソード(別紙一の二一)については、明治一六年七月、音二郎が京都四条南の演劇場で民権自由数え唄を披露し、警官から中止解散を命ぜられたことは、歴史上の事実である(乙七三)。本件ドラマのうち、音二郎が歌い出す前の口上の内容や警官がまず中止を命じたとした点は、原告作品以外の資料により作成されたと考えられるが、その後、警官が「官吏侮辱じゃ……官ちゃんがどうのというのは、官吏侮辱!」と叫ぶ箇所(甲三の一)は、原告作品の「「官ちゃん」は官吏侮辱罪に当り、ただちに逮捕された。」なる記述を参考にして作成されたものと推認される。

<2>のロの水泳のエピソード(別紙一の二二)についても、貞が伊藤博文から水泳を教わったことについては先行資料がある(乙二二、四一)。水泳を法典の起草と結び付けたのは原告作品独自のものであるとしても、基本的な筋又は仕組みになっているとみることはできない。

<2>のハの音二郎の落選(別紙一の二三)についても、原告作品の当該箇所は歴史的事実を述べたものに過ぎない(乙一九の一、乙三八、八八、乙九五の一、二)。原告は、音二郎落選の原因が通説に言うところの強い対抗馬とか新聞に叩かれたせいばかりではなく、選挙権のない人々に政見演説をしたところに根本原因があったと理解して記述した創作的表現であると主張するけれども、「川上の共鳴者があったとしてもそれは有権者ではない。彼の芝居そのものだって、看客の大部分は中以下の階級や学生などである。当時の有権者は直接国税を十円以上納める者に限られた。其の社会には川上劇の支持者は少ない。」(乙一九の一)という記載のある先行資料がある。

<2>のニの川上座を手放す音二郎の心境(別紙一の二四)については、原告作品の当該箇所は先行資料からの引用とこれについての原告のコメントであって(乙三八)、原告の創作に係るものとは言えない。

<2>のホの貞奴の「道成寺」好評に関する表現(別紙一の二五)についても、先行資料があり(乙四五。ただし、「振り出し笠」ではなく「傘」とされている。)、「花笠の踊りの段で、両手に持った振り出し笠を頭上で交互に廻しながら倒れてしまった。」という原告作品の表現は、倒れる場面を特定している点で創作性があると言いうるが、本件ドラマはこの点で表現が類似しているとは言えない。

<2>のヘの「人肉質入裁判」の貞奴の台詞(別紙一の二六)については、表現の類似はない。

<3>のイ、ロについては、既に判示したとおり、表現の類似はなく、原告作品からの剽窃を隠ぺいしたものとも言えない。

<3>のハについては、貞がサラ・ベルナールを引き合いに出していた事実については先行資料があり(乙三八、七六)、また、原告作品と本件ドラマの当該箇所で表現の類似はない(もっとも、サラ・ベルナールの年齢が事実に反している点からすれば、原告作品の当該箇所を参照して制作されたことが窺われる。)。

<3>のニの誓紙と誓詞(別紙一の二八)について、本件ドラマは原告作品の当該箇所からヒントを得てこのようなエピソードを取り入れたものとみられるが、原告作品では「小奴の貞を伊藤博文からとらない」という約束であり「素人の世界ならば婚約に相当する」とされているのに対し、本件ドラマでは「誰も手だしはしない」という約束であり、両者の意味合いは異なる。

(四)  以上一、二、三(一)ないし(三)において判示したところによると、本件ドラマの基本的筋については、原告作品と一部共通しており、また、本件ドラマには部分的に原告作品の表現を参考にして作成されたと見られる箇所が存在する。その点と、前記三1(三)において判示したように、本件ドラマの制作過程において原告作品が資料の一つとして利用されたことからすると、本件ドラマは、原告作品を重要な参考資料として制作されたものと認められる。

しかしながら、原告作品と本件ドラマとでは、前示のとおり、分量、対象とする年代、叙述の対象、登場人物、描写の方法、取り上げるエピソード等の内容、貞奴の描写、他の主要人物の描写のいずれの点においても大きな相違があり、両作品を全体として比べると、基本的な筋、仕組み、構成のいずれの点においても同一とは言えないから、両作品は、内面形式の同一性を欠くものと言うべきである。

なお、本件ドラマ中には、原告作品と部分的に基本的な筋が同一であると見られる箇所が存在する(例えば、音二郎が書生演劇を興すまでの経緯、川上一座のアメリカ巡業、帰国後貞奴が女優として活躍する状況等)が、同一と見られる箇所は、いずれも歴史上の事実であって(後記四2(三)の判示参照)、原告の創作に係るものとは言えないから、原告作品と本件ドラマの内面形式の同一性を基礎付けるものとは言えない。

したがって、本件ドラマの制作は、原告の翻案権を侵害するものとは言えない。

なお、ドラマ・ストーリー、被告協会が発表した広報資料(乙三五ないし三七)並びに被告らが本件ドラマの原作であるとする杉本苑子の「マダム貞奴」及び「冥府回廊」がどのようなものであるかは、依拠性の判断においては重要な判断要素となるが、本件ドラマと原告作品との内面形式の同一性の判断に当たっては、これを検討する必要はないと言うべきである。

四  ドラマ・ストーリーによる著作権侵害の成否について

1  証拠(乙九、一五、四六、四九、五五、一二二、証人松尾、被告中島)と弁論の全趣旨によると、ドラマ・ストーリーの内容及び制作の経緯について、以下の事実が認められる。

(一)  ドラマ・ストーリーが掲載された本件書籍は、本件ドラマの放送開始に合わせて発行された番組視聴者のためのガイドブックであり、他に、杉本苑子、被告中島らのエッセイ、本件ドラマの配役の紹介、対談、グラビア特集等が掲載されている。

(二)  本件書籍のうち、ドラマ・ストーリーの部分は五二頁から一一二頁までで、「構成-中島丈博」「原作-杉本苑子『冥府回廊』『マダム貞奴』」と表示され、プロローグ、第一章「馬上の女」、第二章「自由童子誕生」、第三章「オッペケペ」、第四章「日本脱出」、第五章「海外巡業」、第六章「女優第一号」、第七章「劇界改造」、第八章「新時代の足音」及びエピローグからなる。本件ドラマの梗概の紹介の体裁をとっているが、「「ドラマ・ストーリー」と放送が異なることがあります。ご了承ください。」と注記されている。

(三)  その叙述の梗概は、次のとおりである。

プロローグでは、川上音二郎一座の公演を観ている貞を紹介し、第一章「馬上の女」では、貞と桃介、桃介と音二郎の出会いとそれぞれの生い立ちを交えて描き、第二章「自由童子誕生」では、音二郎と奥平剛史の出会いから、八重子と音二郎の関係と、桃介が房子と婚約して米国留学に出発し、貞は伊藤博文に水揚げされるまでを、第三章「オッペケペ」では、音二郎がオッペケペを始め、さらに、改良演劇で話題を呼び、貞と結婚するまでを、第四章「日本脱出」では、川上座を開場したものの、国会議員に立候補して落選し、川上座も人手に渡ったことから、小さなボートで貞と二人で日本脱出を試みたところまでを、第五章「海外巡業」では、川上一座のアメリカ、パリでの成功の様子を、第六章「女優第一号」では、福沢諭吉に反発する桃介と、帰国した川上一座の活動、貞が「オセロ」で女優第一号を演じたこと、第七章「劇界改造」では、音二郎の劇界刷新のための改革の試みと、桃介が株で成功したことを、第八章「新時代の足音」では、貞の女優養成所開設から伊藤博文との別れ、大阪・帝国座の建設、音二郎の死亡までと、松井須磨子の台頭を、エピローグでは、音二郎の銅像と貞の感慨を描いている。

(四)  ドラマ・ストーリーの叙述内容は、別紙六「ドラマ・ストーリーの内容」記載のとおりである。

(五)  ドラマ・ストーリーの制作経緯は、次のとおりである。

昭和五九年九月一四日、被告会社は、本件ドラマに関するガイドブックと言うべきドラマ・ストーリーの構成を被告中島に依頼し、被告中島は、同年一〇月後半に一〇日間ほどかけて書き上げた。しかし、当時、本件ドラマの脚本は、全五〇回分中の一〇回分程度しかでき上がっていなかったため、被告中島が完成していた一〇回分の脚本を元にして第三章「オッペケペ」辺りまでを書き、それ以降の部分については、同人の助手松島利昭が、本件ドラマの構成案及び被告協会のスタッフが作成した主要人物年表を元にして書き、被告中島がチェックした後、原稿を被告会社に渡し、被告会社は、さらに若干の手直しをして本件書籍に掲載し、出版した。なお、その際、参照された資料の中には、原告作品も含まれていた。

2  複製権侵害の成否について

(一)  複製とは印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製することを言う(法二条一項一五号)が、原著作物とまったく同一ではなくとも、これに多少の修正増減を加えた程度のものを作成することも含まれると解される。

(二)  ところで、原告作品とドラマ・ストーリーとを比較すると、その叙述内容は別紙四及び別紙六のとおり相違している。

(三)  さらに、原告の指摘する別紙三記載の類似箇所について、検討する。

1イ・1ロの音二郎・貞奴がヨーロッパから帰国し、神戸・新橋で歓迎を受ける場面は、歴史的な事実であり、多くの新聞報道があるし、音二郎の伝記でも取り上げられており、原告作品はそれらの先行資料に基づくものであり、先行資料の内容を前提とすると、ドラマ・ストーリーの当該箇所の表現が原告作品に類似するものとも言えない(乙一の三、四、乙三の一、乙一八)。

2の音二郎が河原乞食と言われることについて強い反発心を持っていた点は、新聞報道されている事実であり(乙一七)、表現が類似するものとも言えない。

3については、貞の水揚げに関して藤田伝三郎、井上馨、内海忠勝及び伊藤博文が約束していたという事実を明記した資料はなく、この点で、ドラマ・ストーリーのうちの3の下段で指摘されている部分は、原告作品の表現を参考にして作成されたものと考えられる。しかし、原告作品は、貞が伊藤博文のものと公認されていたという内容であるのに対し、ドラマ・ストーリーは、それぞれが手を出してはいけないという趣旨であって、表現は異なる。

4イ・4aについては、前記三3(四)(2) <3>において判示したところと同様であり、先行資料を前提とすると、表現は類似していない。

5及び6については、表現は類似していない。

7の上段は、歴史的事実である(乙八八)。

8の上段は事実を記述したものであり、下段は別の作品(杉本苑子「冥府回廊」(上)一八九頁、一九三頁、矢田弥八「激流の人」五四頁)に類似の記述がある(甲五の一、乙三四)。

9イのうち、貞が「板垣君遭難実記」を養母と見に行って初めて音二郎を知ったと語っている部分及び名士よりも書生が好きだったという部分については、先行資料がある(乙二、三八、四一)。

9ロについては、「一日鳥越座に川上の芝居を母と共に見物して従来の俳優の柔弱なるに似ず川上の元気よく気焔を吐くに感服し何事にも奇抜を好む彼女の心は遂に一書生役者たる川上の占領する所となり」との先行資料がある(乙八九の一)。また、9ロと9b・cの表現自体を比較しても、類似しているとは言えない。

10の上段・10a・10bについては、いずれも先行資料がある(乙七、乙二三の一)。

11イないしへ及び12の音二郎が自由童子からオッペケペ節を演ずるに至るまでの経緯については、いずれも音二郎に関する歴史的事実をその順序に従ってまとめたものであり、先行資料がある(乙一七、二三の一、三二、九〇)。また、ドラマ・ストーリーには、原告作品に現われていない固有名詞や文句が記述されており(例えば、「ヤソに神なし、仏教に仏なし」(11e)、「講釈師」(11f)、「神田末広町の千代田亭」(11g)、「三遊亭万橘」(11h)、ヘラヘラ節の内容(11h)、オッペケペ節の内容(12a・b))、少なくとも原告作品以外の資料に依拠して作成されたことが明らかである(乙二三の一、三二、九〇)。

13のうち、貞や名妓たちが音二郎に入れ上げ、引幕を贈った事実については、先行資料がある。(乙九一)。

14の音二郎が金子堅太郎らから洋劇視察を勧められる部分については、先行資料がある(乙二三の二)。

15の川上一座の出し物が大当たりとなったことは、歴史上の事実である(乙一七・二三の二)。

16の下段は、原告作品とは別の作品(倉田「近代劇のあけぼの」)を参考にしたものと認められる(乙三二)。

17は、この部分だけを取り上げて表現が類似しているとは言えない。

18イ・ロのうち、落籍祝いがされたこと、金子堅太郎が仲人を務めたこと、金子は音二郎と同郷であったことについては先行資料があり(乙一七)、その部分を除くと18a・bが原告作品に類似しているとは言えない。なお、ドラマ・ストーリーでは「桃介と房子の向こうを張って、どうしてもまともな結婚をしなければならない意地もあった。」とあるのに対し、原告作品では「貞は養母・可免の計らいによることを強調して、“野合”と見られるのを嫌っていた。」とある。原告作品では右表現より前の箇所である三八頁において「貞は音二郎という存在を知るなり、殆ど間髪をおかず、恰も電光石火の如く<いっしょになってしまった>」とし、「貞はこうしたいわゆる野合説に抗議するかのように、勝手に一緒になったのではなく、ちゃんと養母の手でしかるべき手続きを経て結ばれた、と弁明している。手続きはともあれ、貞は<書生が好きだった>と言い、一目で惹かれてしまった。当の貞はそれ以上の説明はしてしない。」と述べている。18イの記述はこれを受けているものであり、桃介と房子の向こうを張るといった心情は表現されていない。したがって、両者は類似していない。

19については、歴史上の事実であり、先行資料がある(乙八〇の一、二、乙九二の一、二)。

20の川上一座が戦争物で大当たりをとり、歌舞伎座に進出するまでの経緯は、歴史上の事実であり、先行資料がある(乙二三の二)。

21イ・ロ、22イないしハ、23イ・ロ及び24は、音二郎らの川上座建設、国会議員選挙への立候補と落選、音二郎の失意といった歴史上の事実に関する記述であり、いずれも先行資料がある(乙一六の一、乙一九の一、乙二三の二、乙二九、三八、三九、四一、九四、乙九五の一、二)。これに対し、ドラマ・ストーリーでは、八重子が音二郎の子だから引き取ってくれと言って現われ、貞は八重子と子供を追い出し、音二郎をとっちめたこと、選挙運動は賑やかに展開し、音二郎、貞らも気をよくしていたこと、これを万朝報の黒岩がここぞとばかりあざ笑い、書きまくったこと、川上座が人手に渡る場面では、音二郎と貞が二人でシャンペンを飲んだこと、音二郎が拳銃を持って万朝報社に乗り込み、拳銃の暴発のため黒岩にけがをさせたが、黒岩は警察には訴えずに記事にもしなかったこと等のストーリーが加えられており、原告作品とは筋が異なる。

25イ・ロの音二郎・貞がボートで海へ漕ぎ出し、神戸にたどり着くまでの経緯については、音二郎の談話等の形での先行資料がある(乙二三の二、乙三三、三八)。

26の上段及び下段は、「大西洋岸のアトランチック・シティーで日本の庭園を経営していた櫛引弓人が、興行方面にも手を広げていたので、サンフランシスコを中心にアメリカの西部地方を興行して回るという話を音二郎に持ち込んだ。」という限りでは、先行資料が存在する(乙一七)。ただし、両者の表現のうち、「話が舞いこんだ」「大西洋岸のアトランチック・シティーに、茶屋、球戯場などを含む日本庭園を経営して」「音二郎はこの話にとびついた」の部分は、他の先行資料では用いられていない表現であり、ドラマ・ストーリーのこの箇所は原告作品を参考にして記述されたものと推認できる。

27について、上段と下段の表現で共通するのは、出発と到着の日、同行したのが一九人であり、同行者の中に音二郎の弟磯二郎と姪のツル(一二歳)、三味線の杵屋君三郎が含まれていたことであるが、歴史上の事実であり、先行資料がある(乙四四)。また、留守の座員を桜木に預けたことを含めると、原告指摘の部分は、杉本苑子「マダム貞奴」の一二三頁によったものと認められる(甲四)。

28イ・ロ、29イないしへについては、いずれも先行資料が存在する(乙一七、一九、二五、二九、三〇、三八、四四)。なお、<1> 「町には既に貞のポスターが張り出してあり、貞が主演女優であるかのように宣伝されていた。」(28イ)「街にはすでに貞のポスターが張り出され、まるで彼女が主演であるかのように宣伝されているのである。」(28a)、<2> 「二十三日に着いて、二十五日から公演するので、ぐずぐずしているひまは無かった。」(28ロ)「二十三日に着いて二十五日には公演するという日取りになっているのでグズグズもいっていられないのである。」(28b)、<3> カリフォルニア座での収入を「千二百七十一ドル(二千五百四十二円)」(29イ)「一、二七一ドル(二、五四二円)」(29a)と表現した点、<4> 義捐興行による収入を「七百ドル余り」(29イ)「七百ドル」(29a)とした点、<5> 「いずれも着いてから劇場を探し、公演が済み次第、夜行に乗る」(29ハ)「いずれも着いてから劇場を探し、公演がすみしだい夜行列車に乗る」(29e)という表現、<6> 「汽車に乗っているときだけが休息の時間」という表現(29ハ・29e)、<7> ライリック座の座主が日本びいきであると聞いたという点(29ハ・29f)、<8> 「極限に追いこまれて必死につとめた舞台だった」(29ホ)「極限に追いこまれた一座が死力をふりしぼってつとめた舞台だった」(29i)という表現、<9> 「集まった観衆は魅了され、ライリック座の劇場主ホットンに一座の再演をもとめて押しかけた」(29ヘ)「ホットンのところには、貞奴に魅了された観衆が再演を求めて押しかけていた」(29j)という表現は、いずれも他の先行資料とは異なっており(他の類似箇所については、同様の表現を用いた先行資料等が存在する。)、ドラマ・ストーリーの当該箇所は、原告作品を参考にして作成されたものと推認できる。しかし、右の箇所は、いずれも歴史的な事実に基づいて表現されたもの又は同様の表現の先行資料が存在するものであり、独立して著作物性があるとは言えない。

30イ・30aについて、「一夜明けると、貞奴はスターだった。」という表現は、他の先行資料とは異なっているが、長谷川時雨「マダム貞奴」(乙三九)四七頁には、同様の場面で、「一座は其折女優がなかったために苦い経験をしたので、奴は見兼ねてその難儀を救った。義理から、人情からそれまで一度も舞台を踏んだことのなかった身が一足飛びに、優れた多くの女優が、明星と輝く外国に於て、貧乏な旅廻りの一座のとはいえ、一躍して星女優となったのである。」との記述があり、ライリック座での公演をもってスター女優となるきっかけとみること自体が原告独自の表現とは言えない。

30ロ・31、32イないしヘ、33イないしハ、34、35については、いずれも歴史上の事実であり、先行資料がある(乙一七、二五、三三、四四、九九)。これに対応するドラマ・ストーリーについても、原告作品以外の先行資料を参考にして作成されたとみられる(30b、31、32a、32bにつき乙三三、32cにつき甲四、32dにつき乙一七、33bにつき乙九九)か、又はそもそも表現が類似しているとは言えない(30b、31、32a、32b、32c、32d、32e、32f、33a、33dないしj、34、35a、35b)。原告の指摘する「ロイ、フラー」(32d)「オフィシェ・ド・アカデミー」(32f)の表記が同一であること、烏森芸者たちがパノラマ館で演じた出し物が「『鶴亀』『道成寺』『活惚』『へらへら』『凱旋踊り』」であったとするその選択と順序が一致していること(33イ・33a)は、このような一致がみられることから、ドラマ・ストーリーが原告作品を参考にして作成されたものであることの推認をすることはできるが、右の各部分自体には独立した著作物性はない。

36イないしハ、37イ・ロは、歴史上の事実であり、先行資料がある(乙一七、乙二三の二、乙三二、一〇一、一〇二)のに対し、36cについては「マダム貞奴」に記述があり(甲四)、その他の部分についても、原告作品とドラマ・ストーリーで共通している事項、言葉遣いについては、先行資料が存在する(なお、36bに「不評と叱責が待っていた。新聞はあげて音二郎否定論の大合唱である。」とあるのは、36イの「不評と叱責に満ちた、音二郎否定論の大合唱」という表現とよく似ているが、この部分に独立した著作物性があるとは言えない。)。

38イは、音二郎が日本のブースたり、フローマンたることを目指して演劇に生きる覚悟ができたとし、中央新聞の記事を引用しているのに対し、38aは俳優学校を設立して後輩を育てる仕事をしたいということで目指す方向がはっきりと見え始めたというのであり、内容が異なる。また、38bは倉田「近代劇のあけぼの」(乙三二)一七四頁を参考にしたものと認められる。

38ロは、歴史上の事実であり、先行資料がある(乙三二、一〇四)。他方、38dの「世界的演劇を興すの必要」については先行資料に記載されている(乙三二)。

39イのうち、貞が帰国後女優として舞台に立つことを拒否していた事実については先行資料がある(乙一七、一八)。「貞が失敗すれば、ただでさえ困難な女優の道がいっそう険しくなる。不用意には応じられない。」(39イ)、「もし、あたしが失敗したら、女優の発展がそれでおくれることになるんですよ。そんな重大なつとめがどうしてできましょう」(39b)という表現は類似しているが、先行資料には、貞が金子堅太郎から「将来の日本の演劇の、発展を考えると、女優の必要なことは儂が言うまでもなく、前後二回の欧米巡業の体験からお前自身も痛感していることだろうと思うがね。……機運は既に迫っているのじゃが、みな逡巡しているのじゃ。誰か一人、そのトップを切って、演劇革新のために叫ぶ者があれば、我もわれもと追従する者の現われようとしている時期なのじゃが、不成功を怖れて、躊躇している有様なのじゃ。何事にも、先駆者たるには、勇気が要る。……日本劇壇全体のためを思えば、現在こそ女優として、お前が、立つべき秋だ。」と説得され、これに対し、貞は「私の芸は、外国でこそ胡魔化せて通っていましたが、日本では、他人様に見せるほどの腕でないことは、百も承知しています。だからこそ、舞台を、あきらめていたのです。が、日本の演劇の、将来のために、私が役立つなれば-と、斯う言われて考えました。」と構成したものがある(乙一八)。このような記述を前提とすると、ドラマ・ストーリーの当該箇所は原告作品の表現に類似しているとは言えない。また、39aは、原告作品ではなく、先行資料に基づいて記述されたものと認められる(乙一七)。

40イないしニは、歴史上の事実であり、先行資料がある(乙一七、乙二三の二、乙一〇四)。また、40dは、原告作品ではなく、先行資料に基づいて記述されたものと認められる(乙一七)。

41イないしニは、歴史上の事実であり、先行資料がある(乙一七、三二)。しかも、41c・41dの部分は、明石鐵也「川上音二郎」二三〇頁・二三一頁(乙一八)に、41eの部分は、倉田「近代劇のあけぼの」(乙三二)一八三頁・一八四頁に、それぞれ類似しており、これらの資料を参考にして記述されたものと推認される。

42イ・42aは、歴史上の事実であり、類似していない(乙一七、三二)。

42ロ・42bのうち、42bに「さしもの川上嫌いの面々もこぞって支持を表明した。子供たちを喜ばせ、貞自身も心を洗われ、すべてを忘れて芝居に打ちこみながら」とある部分は、原告作品の表現を利用したものと推認できるが、歴史上の事実を記述したものであって、これ自体が独立して著作物性を有するとは言い難い(乙六〇)。

43イ・43b・c、43ハ・43d、43ニ・43eについては、多数の先行資料がある(乙一七、乙二三の二、乙一〇六、一〇七)。

43ホについても、先行資料があるほか(乙三二、一〇七、一〇八)、43fのドラマ・ストーリーの表現は、原告作品よりも倉田「近代劇のあけぼの」(乙三二)一九三頁に類似の記述がある。

43ヘと43g、44の上段と下段とは、いずれも類似していない。

45イ・ロは、いずれも歴史上の事実の記載である(乙三二、九三、一〇九)。

46イ・46aは、場面が異なり、類似していない。

46ロについては、先行資料がある(乙一一〇、一一一)。

46ハ・46dは、表現が類似していない。

47は、歴史上の事実である(乙三二、八二、八三)。

48は、先行資料がある(乙二三の二)。

48ロ・48b・c、48ハ・48d、48ニ・48e、48ホ・48f、48ヘ・48gは、いずれも表現が類似していない(なお、48eの箇所は、戸板康二「川上貞奴」(乙三一)三四頁に類似の記述がある。)。

49、50は、歴史上の事実である(乙八五、一一二ないし一一四)。

51は、先行資料がある(乙三八、七〇、七一)。

52イは、先行資料があるし(乙一七、三二)、上段と下段の表現は類似していない(52aのドラマ・ストーリーの表現は、倉田「近代劇のあけぼの」(乙三二)二五六頁を参考にしたものと認められる。)。

52ロの音二郎の最後の言葉については、先行資料がある(乙三二)。

52ハについては、先行資料がある(甲四、乙三二)。

52ニのうち、音二郎の死後貞奴に引退を迫る声が強かったという点は、歴史上の事実である(乙一一五の二)。

53イ・53aは、表現の類似はない。

53ロについては、先行資料がある(乙三八、一一六)。

53ハ・53cは、表現の類似はない。

54は、歴史上の事実である(乙一八、乙一九の二、乙三八、六九、一一七)。

55は、歴史上の事実である(乙一一八)上、55aは茨木憲「日本新劇小史」(乙一三)二三頁を参考にしたものと認められる。

56イ・56a、56ロ・56b・56cは、表現の類似はない。

57については、上段は歴史上の事実を示すものであるのに対し、下段の57a・57b・57cについては、杉本苑子「冥府回廊(上)」(甲五の一)二四一頁、二七四頁以下及び同「マダム貞奴」(甲四)一一二頁の記述を参考にしたものと認められる。

57ハ・57e、57ニ・57fは、いずれも表現の類似はない。

以上のとおり、ドラマ・ストーリーには、原告作品の記述を参考にしたとみられる箇所(3)、外国語の表記が同一である点(32d、32f)、原告作品独自の表現とよく似た表現が用いられている箇所(26、28a、b、29a・e・f・i・j、30a、36b、39b、42b)が存在するが、指摘箇所の大部分は、いずれも、歴史上の事実又は先行資料を引用若しくは要約したものであるということができ、しかも、音二郎・貞奴の日本脱出の試みから海外巡業での苦労話、帰国後の活躍と苦心等のドラマ・ストーリーの中心として描かれている部分は、すべて、多くの先行資料に描かれているところであって、全体として原告作品にのみ類似しているというわけではない。また、明らかに原告作品以外の先行資料を参考にして記述されたとみられる箇所も多数存在する(11e・f・h、12a・b、27、30b、31、32a・b・c・d、33b、36c、38b、39a、40d、41c・d・e、43f、48e、52a、55a、57a・b・c)。

(四)  右に検討したところによると、原告作品とドラマ・ストーリーの叙述内容自体は全体として見た場合には相違しており、類似箇所として指摘された部分も、その一部に原告作品を参考にして作成されたと見られる表現はあるものの、いずれも、歴史上の事実若しくは先行資料に記載された事実に係る部分又は表現が類似していないと見るべき部分であるから、ドラマ・ストーリーは、原告作品に多少の修正増減を加えた程度のものとは言えず、原告作品を有形的に再製したものとは言えない。

したがって、ドラマ・ストーリーの制作は、原告作品の複製権を侵害するものとは言えない。

3  翻案権侵害の成否について

(一)  翻案権侵害の判断の基準は前記三3(一)において判示したとおりであり、右の基準に照らして、前記二、三及び右1の判示事実を前提として原告作品とドラマ・ストーリーとの内面形式の同一性の有無について検討する。

(二)  原告作品の特徴は前示三3(二)のとおりであるところ、ドラマ・ストーリーの特徴としては、以下の点が指摘できる。

(1)  ドラマ・ストーリーの分量は、本件書籍の五二頁から一一二頁までの六三頁であり、原告作品よりもかなり短い。

(2)  対象とする年代は、貞の小奴の時代から音二郎の銅像建立までであり、原告作品のそれよりも範囲が狭い。

(3)  登場人物は、本件ドラマと同様、歴史上実在しない人物(雲井八重子、三浦又吉、野島覚造等)を登場させ、ストーリーの中で独自の役割を持たせている。

(4)  描写の方法は、登場人物をめぐる歴史上の出来事を逐一取り上げるのではなく、節目となるエピソードを中心とし、客観的な記述というよりも読み物としての読みやすさが重視されている。

(5)  ドラマ・ストーリーのうち、第四章「日本脱出」及び第五章「海外巡業」の全部、第六章「女優第一号」の後半部分並びに第七章「劇界改造」の部分は、その叙述内容の大部分が原告作品と共通である。

しかし、原告作品で叙述されている事項のうち、貞の幼少時代、川上一座がアメリカ東海岸からパリに到着するまでの経緯、二度目のヨーロッパ客演旅行、パリ再訪、革新興行、貞の女優引退、川上絹布設立、二葉御殿、児童楽劇園、貞照寺の建立、貞の晩年の生活ぶり等は、ドラマ・ストーリーでは取り上げられていない。

また、ドラマ・ストーリーで取り上げられている事項のうち、慶応義塾での音二郎と桃介・黒岩涙香の出会い、音二郎と奥平剛史との出会い、音二郎の車夫懇談会での演説、房子が桃介に魅せられてしまったこと、奥平と八重子の関係、貞と書生演劇で世に出る前の音二郎との出会い、貞の水揚げの儀式とその前に桃介と会う場面、貞が初詣でをする桃介・房子夫妻を見かけ、伊藤博文との関係も切れること、野島覚造との出会い、貞が小田原まで音二郎の奥行を見に行き、騒動に巻き込まれて、その夜、音二郎と結ばれること、株式投機をする桃介と房子との間の溝、貞がパリ滞在中の亀吉の容態悪化、桃介の事業の不振と諭吉との葛藤、桃介が貞を励ましたこと、日露戦争を背景に桃介が兜町で飛将軍の名をとどろかし、芸者を買切りにして騒いだこと、貞と伊藤博文の最後の対面、奥平の大逆事件による処刑については、原告作品ではまったく触れられていないか又はごく簡単に触れられているに過ぎない。

(6)  貞奴の描写について、その人物像の特色、女優としての資質等が描き出されているとは言えない。

(7)  他の人物については、本件ドラマと同様、音二郎、桃介、房子に関する描写が各所に取り込まれており、全体の中でもそれらが相当な分量を占める。

(三)  原告指摘の類似箇所(別紙三)については、前記2(三)において判示したとおりであり、その大部分は、いずれも歴史上の事実であるか又は先行資料に記載された事項である。

(四)  右(二)、(三)に判示したところによると、原告作品とドラマ・ストーリーの全体を比較した場合には、分量、対象とする年代、登場人物、描写の方法、叙述されている事項、人物の描写のいずれについても異なっており、基本となる筋・仕組み・構成はいずれも異なると言うべきである。

なお、ドラマ・ストーリーのうち第四章「日本脱出」及び第五章「海外巡業」の全部、第六章「女優第一号」の後半部分並びに第七章「劇界改造」の部分は、そのほとんどの事項が原告作品の叙述事項と共通しているところであり、原告作品独自の表現と類似する箇所もいくつかあることから、この部分は原告作品に依拠して作成されたものとみるべきである。しかしながら、右の部分の大部分は、いずれも歴史上の事実であるか又は先行資料に記載された事項であって、その基本的な筋・仕組み・構成自体は、原告の創作に係るものとは言えないから、このような部分が共通しているからといって、著作物たる原告作品とドラマ・ストーリーとの内面形式が同一であるとすることはできない。

したがって、ドラマ・ストーリーは、原告作品と内面形式が同一であるとは言えないから、原告作品を翻案したものには当たらないと言うべきである。

五  人物事典による著作権侵害の成否について

まず、別紙三の58イの貞の身長等に関する表現は、事実の記述である。また、同ロの記述については、貞は一旦浜田家から加納家へ引き取られたが、そこの長男が「貞ちゃんは今に僕のお嫁になるんだよ。」と言うのを聞き、加納家を逃げ出したとの先行資料がある(乙一七)。さらに、原告作品の当該箇所は、原告が川上富司から聴取した内容を記載したものである(乙一一九、証人松尾)。

そうすると、原告作品の当該箇所の記載内容自体は、原告の思想又は感情を創作的に表現したもの(独創性のある部分)とは言えないから、人物事典に同じ内容の記載があることをもって(両作品の表現方法は異なっている。)、これが、原告作品の複製又は翻案に当たらないことは明らかである。

したがって、人物辞典は、原告作品の著作権を侵害するものとは言えない。

六  著作者人格権の侵害について

右三ないし五判示のとおり、本件ドラマ、ドラマ・ストーリー及び人物事典は、いずれも原告作品の二次的著作物(又は複製物)とは言えないから、著作者人格権の侵害はない。

七  結論

以上のとおりであるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡久幸治 後藤博 入江猛)

別紙目録、別紙一ないし六<省略>

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